僕は小学校の時から算数が嫌いで、特に計算問題をたくさんやらされるときには拷問だと思っていました。
そんな僕が言っても説得力ないかもしれませんが、現実に先週スターバックス某店で現実に僕が体験した話。

僕はいつもイタリアンローストを豆のまま買うのですが、スターバックスは量り売りしてくれる店と、そうじゃなくてパックになった豆しか置いていない店があるようです。
量り売りして欲しいよなあ、と思うのですが、僕はそれ程コダワリ性ではないので、結局行き当たりばったりの店で買っちゃいます。

パックというのは、店によって違うのかも知れませんが、だいたいが1/2ポンド(約225グラム)で1パックになっていることが多いようで、袋にもそう書いてあります。
日本やユーロだとメートル法(mks単位系)が徹底しているので、ふつう200グラムという売り方が多いようですが、そこはさすがアメリカ式で、ポンド、ときたわけです。

で、僕が買おうとしたその店では、案の定量り売りはやってませんでした。ちょうど棚に並んでいる1/2ポンドと書かれたイタリアンローストの豆のパックが目に入ったこともあり、店員に注文しました。

「イタリアンローストを豆のままで1ポンド下さい」

たぶん大学生アルバイトと思われる、わりときれいな顔をした女性の店員が、愛想良く注文をきいてくれました。
待ち時間にオリジナルブレンドのコーヒーをサービスしてくれるのもスタバ式で、気持ちの良い物です。

しばらくすると、彼女はカウンターの上に1/2ポンドのパックを6つ並べました。

はあ~?

「これは200グラムよりちょっと多い1/2ポンドのパックです。うちにはこれしか置いてありません」
ええ、わかります。
「で、おいくつお渡しすればよろしいでしょう?」
ですから、1ポンドですが。。。

その店員は、奥から先輩らしき男性の店員を呼んできて、二人で僕の応対をすることになった。
周りの客も、なんとなく見ている。
僕はちょっと言葉を明瞭にして、ゆっくりしゃべった。

いいですか。これは一つ1/2ポンドですよね。
「はい」
もう一つ同じ1/2ポンドのパックと合わせます。何ポンドですか?
「え、ええっと。。。」

彼女は、また男の店員に助けを求める目線を送った。
僕はちょっと不安になって、さらにゆっくりと話した。
ねえ君。2分の1 たす 2分の1は、いくつかな?

「えーと、4分の1です!」
小学生のように真面目に、彼女は答えた。その後、あ、通分しなくていいから、どうのこうの、とつぶやいていた。

うーん、4分の1という答えは間違いですね。
いつの間にか僕はスターバックスの客ではなく、算数の先生になっていた。
いいかい。2分の1というのは、いわばリンゴを半分に切った片っ方みたいなもんだ。わかるよね? で、その半分と半分を合わせると?
そう、元の1個のリンゴになるよね。

「あ、わかりました!」女性の店員は、目を輝かせた。
だから僕は、このパックを二つ持って帰る。これで1ポンドだ。いいね。
「はい。お買いあげありがとうございます!!!」

こうして僕は無事にコーヒー豆を買うことができた。

ゆとり教育だとか、詰め込み教育、基礎的な学習、などの教育改革に関する言葉がニュースを飛び交っています。
問題になっているらしいのです。
でも、僕自身は小学校の教室に行って視察したわけではないので、具体的にどれくらいのレベルの点で揉めているのか、今ひとつ実感がわかないでいました。

しかし、今回のスタバの件はやばすぎる!
円周率がどうとか言うレベルではない。
算数というレベルでもない。
さらに横にいて何のアドバイスも出来なかった、あの先輩の男子店員の行く末のほうが気になる。

アフガニスタンの子どもの教育がどの程度か知らないが、世界中どこへ行っても、生きていくのに最低限必要な読み書きそろばんと飯の炊き方と主食の探し方くらいは教えていると思う。

コーヒーの豆を売ることも出来ない彼女は、いったい何を売るんだろう?

音楽は言葉の壁を超えて、世界に共通なコミュニケーションだと思う。
算数も同じだ。言葉が違おうが単位が違おうが、1たす1は2なのであって、それは世界中の人に共通なルールであって、宗教が違ってもこれだけは変わらないからこそ、人間は生きていけるのだ。

1円たす1円は2円。1ドルたす1ドルは2ドル。1ユーロたす1ユーロは2ユーロ。このルールが理解できなくなったら、世界中の誰からも相手にされなくなってしまう。サルと同じだ。認知障害としても重篤な症状と言わざるを得ない。

CTWというニューヨークの番組製作会社のプロデューサーが僕に言った言葉を思い出す。

なあジェリー。国を滅ぼすのに、実は武器なんて必要ないんだよ。テロなんか起こさなくても、教育さえメチャクチャにしてやれば、その国は自ら、内側から壊れていく。20年ほどで結果は見えてくる。明らかな形でね。

今年。僕が中学校を卒業してからちょうど30年たつ。
その間、学校でどのようなことがあったか僕は見ていない。

「ある国が、自ら、内側から壊れていく」
ってビジュアルで言えば、いったいどんな感じなんだろう?

と思いながら、昨日のJR福知山線の痛ましい事故や、各地の少年犯罪、医療事故などのニュースを見ています。

霞ヶ関ビルや国会議事堂が、自ら、内側から壊れていくイメージが悪夢のように目の前をよぎり、あわてて振り払ったすぎやんであります。


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