阪神・淡路大震災1

阪神・淡路大震災1
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10年前のこの時刻に、阪神淡路大震災が起こった。当時の特別取材班でもあった僕は、自分がこの目で見たことについて、しっかり伝えていきたい。1月18日、翌朝の飛行機で現地に送り込まれたのは、単に僕が神戸大学出身で土地勘があると思われたのが理由だろう。まもなく空港から被災地に向かう道路は渋滞し、僕はカメラマンとともに5時間徒歩で、取材先の西宮市夙川に向かった。瓦礫の山を踏み越えながら歩む足の裏の感触は、一生忘れないだろう。ふわっと時々柔らかい。「誰かいませんか!誰か動けない人はいませんか!」叫びながら一歩一歩屋根の上を進んだので、被災者を踏みつけてはいないはずだ。そう信じている。

阪神・淡路大震災2

阪神大震災自分

我々は取材のために現地に入っているのだ。メディアの人間の役割は災害救助ではなくて、状況をキチンと記録し正しく速やかに全国に伝えることだ。逸脱してはいけない。それを繰り返し自分に言い聞かせながらどうにか業務を遂行した。しかし目の前で命を落としかけている重傷者を見て、ほうっておくことなどできない。救急車も消防車も入れない状況で、無数のけが人が着の身着のまま避難している状況で、僕は自分の業務を逸脱した。医師免許なしで医療行為を行った。遺体の処置もした。我々がメディアの人間だと気づくと、人々は救助隊はいつ来るのかと、すがりつくように訊ねてくる。我々なら情報を持っているだろうと思われたのだが、我々にも情報はない。目の前にいる人にペットボトルで持ってきた水をありったけ配った。特定の人だけを援助するのは我々のやってはいけないこと。その人がたまたま救われても、すべての人の役には立たないからだ。頭ではわかっていても、僕は反射的に水や食料を配り続けていた。

34歳だった僕の判断は間違えだらけだったかもしれない。でも44歳になった今でも、同じことをしてしまいそうである。


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