I'm sure "Mom Tomorrow" could voluntarily improve the drama.

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僕は「赤ちゃんポスト」という呼び方には非常に違和感をもっている。慈恵病院にある施設の名称は「こうのとりのゆりかご」であって、赤ちゃんポストなる施設は実在しない。俗称である。おそらくマスコミがそう言い習わしたか、海外の同様の施設の名前をむりやり日本語に訳したか、いずれにしても適切でない用語だと思う。それを主人公の名前にしたという神経は理解しがたい。余談だが、かつて赤ちゃんポストの是非を巡る座談会がTBSで開かれた際に、僕は夫婦で参加した。妻は最後まできょとんとしていて発言しなかった。帰宅して理由を聞くと「赤ちゃんポストって、自宅のポストに赤ちゃんが入れられてくるもの」と大きな勘違いをしたまま最後まですごしたというのだ。その能天気ぶりを笑うことはできない。そもそも赤ちゃんを捨てるという行為が存在することさえ理解不能という人々も大勢いるのだ。

「こうのとりのゆりかご」については賛否両論があるにはあるが、僕は慈恵病院院長を尊敬している。育児放棄を助長する恐れがある、などのデメリットが指摘されてはいるものの、コインロッカーや段ボールに捨てられて凍死、といった状況よりは一つの命を救うという点で、大きく前進しているからである。このことについては極めて優れた番組
「こうのとりのゆりかご〜「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来〜」
というのがオンデマンドで視聴可能であるので、ぜひご覧いただければと思います。

さて、児童養護施設については、これとはまったく別の問題だ。こうのとりのゆりかごに入れられた赤ちゃんが、結果的に児童養護施設に送られるケースが多いという現状はあるものの、まったく別の施設である。施設の規模も大、中、小、グループホーム、と大きく異なるし、入所してくる1歳から18歳のこどもたちのバックグラウンドも千差万別だ。親のない子、虐待を受けた子、事情があって入ってくる子、、、すべてを「施設の子供」という十把一絡げなくくりではとても扱えない。この番組ではいわゆるグループホームを舞台としてリアリズムのあるフィクションを目指しているのだが、それが波紋を投げ掛けているのだ。

厳しい財政難の中で、職員たちはすこしでも施設のこどもたちに、一般のこどもと同様の生活をさせてあげたいともがき苦しんでいる。こどもたちが千差万別なだけに、それは並大抵の苦労ではない。一つ一つ例をあげるときりがないので省略するが、ほとんどの養護職員、保育士たちがこどもたちを心の傷から守ろうと必死なのである。そんななか、この「明日ママ」では特殊な施設内虐待をしている人物が初回に描かれ、実態に即していないと抗議文を提出するはこびとなった。
日本テレビ放送網株式会社宛申入文(PDF)

児童擁護施設には、財政難の問題の他に、施設内虐待の問題が明るみに出て、そのあり方が今問われている。本当にこどもたちに愛情を持って接しているのか、虐待や心の傷から十分なケアができているのか。恩寵園事件、埼玉児童性的虐待事件 など、有名な事件の多くは性的虐待だが、このように暗闇の部分と隠蔽体質が存在することも、一方では忘れてはならないだろう。

それよりも何よりも、僕が最重要視しているのは、テレビを見た人が受けるトラウマ、PTSDの問題である。これはなにも施設のこどもたちに限ったことではない。一般のこどもたち、いや大人になってからも幼少期に親から受けた虐待は、深い心の傷となって今なお苦しんでいる人々が無数にいるのである。こういった人たちに公共の電波を使って十分な配慮ができていたのか。こどもたちの人権は守り抜かれていたのだろうか。声もあげられずに苦しんでいる社会的弱者に対する配慮は十分だったのか。今一度、制作者はその重大さと真剣に取り組む必要があろう。

「いやしくも報道機関たるもの、外部からの圧力に屈するという形で自らの神聖なる編成権をゆるがされてはならない」と今まで誤解を恐れず2度にわたって書いてきた。その重要性はジャーナリズムの根幹をなすものであるからである。その外部からの圧力による放送中止という心配は、28日夜の記者会見で日本テレビ放送網の社長が、9本最終回まで必ず放送する。放送中止にはしない。と確約することで払拭された。

これで大手を振って、この番組の人権への配慮の不足や拙劣な演出について、僕も語ることができるようになった。それまでに語ってしまうと、自分も理不尽な外部圧力に加担することになってしまうので、ぐっと我慢していたのだ。

ハッキリ言おう。ドラマの作品としての至らなさや改良点に自ら気がついたなら、躊躇せず今後の放送番組の内容に手を付けるべきだ。外部からの圧力ではなく、自主的にクオリティーを高めるために改変するというのは、全く問題ない。
ドラマの制作現場というのは視聴者が思っているより簡単で、編集技術とちょっとしたリテイクで、がらりと手直しをすることがいとも容易なものだ。

できればよりよい品質の番組を見せてもらいたいものです。
外部からの圧力とは全く別の問題として。


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