資本主義が終焉したら何主義になるの?

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ピケティー

僕はピケティの「21世紀の資本」

ピケティーのそのまた解説本はチラリと読んだけど、それほど目新しいとは思えませんでした。せめて安倍さんがアベノミクスを考えつく前に読んどいたくれたらなあ、と思ったくらいです。現実のほうが先を行ってるじゃん、というのが正直な感想でした。それに比べて読んだら目からウロコだったのが水野和夫さんの

のほうでした。経済学をまともに勉強をしたことのない僕にも、スラスラ読めてうなずくばかりの内容でした。

さてこの本の気持の良いところは、諦観からスタートしていて、少しも旧資本主義に執着していないところです。こうなったらじっくりと不景気と付き合いながらソフト・ランディングするしかない。さてどうしましょう、と極めてアッケラカンと現実を見ながら淡々と話しを進めています。そもそも僕自身はマルクス主義経済も自由主義経済もどちらも近代の欧米人が始めた壮大な実験に過ぎないと思っています。自由主義経済はどんどん進めていけばいい、知恵と努力でなんとでもなる、エンディングシーンはなし。それに比べてマルクス主義経済はエンディングシーンから入り、超頭のいいエリート君が指揮者のごとく指導して成立する世界観を提示しました。どちらも机上の空論だったが、東西冷戦で勝負は付きました。といっても資本主義経済が勝ったのではありません。社会主義経済のほうが、僅差で資本主義経済より先に自滅しただけです。追って資本主義経済も自滅するのは遅かれ早かれ、だったと僕は勝手に分析しています。実験は両方とも失敗だったとも言えるでしょう。

土地バブルは20世紀の日本において破裂しました。「地理的・物的空間」でのバブルが弾け、次は土俵を「電子・金融空間」に移してそこにおけるITバブルを試みましたが、それもアメリカにおいて破綻し、リーマン・ショックを起こしました。そもそも割れると分かっている風船はそうなんども膨らませるもんじゃありません。バブルは弾けると分かっているのです。(安倍さんはまたバブルを起こそうとしているようですが。。。)地理的な周辺と中心の差で価値を生み出しきれ無くなり、1秒間に何万回という取引をする化け物みたいな金融商品も、ウォール街の一部を儲けさせただけで、サブプライム層という大量の貧困層を生み出しました。もう資本主義の目指すフロンティアは宇宙を探しても見つからないのです。みんなで潔く諦めましょう。

ああ、北(先進国)に富が集中し、南(途上国)の貧困さに支えられていた時代は良かったなあ、というのもノスタルジーの世界にとどめておきましょう。「中国人13億人が全員、真っ白いトイレットペーパーで尻を拭く時代になったら地球は滅びる」と昔冗談交じりに言う人がいましたが、グローバリゼーションとはそういった止めようのない代物なのです。真っ白いトイレットペーパーどころか洗浄器付き便座ウォシュレットの時代になりました。人類は「快適さ」の世界でも、これ以上目指すべきフロンティアを開拓する余地がなくなりました。「土地」のフロンティアがなくなり、「電子空間」のフロンティアがなくなりました。そして「快適さ」にさえもフロンティアが残されなくなった以上、70億人にウォシュレットが行き渡るまでグローバリゼーションは進むでしょう。

経済的にはアメリカを代表に中間層のない社会、ぶっちゃけていえば全員みな貧乏な社会が訪れます。今まで飢餓と無縁だった先進国でもギリギリの生活が余儀なくされます。人々は少しでも貧困から脱出するために、教養のある層はあの手この手で小銭を叩きだします。もちろん10年やそこらは新興国の工業生産性向上が期待できますが、天井は見えています。時間の問題ですから金融には影響しません。気がついたら「座って半畳寝て一畳、どんぶり飯くらっても5杯が限度」という人間一人一人が持ちうる空間、持ちうる富というものに基づいた持続可能なライフスタイルをベースにした社会がいやでもやってきます。寿命は伸びてもQOLが追いつくという保証はありません。医療だけが進んだ結果、地球は爆発的人口増加と高齢化を迎えていますが、社会も同じように進んで追い付くしかありません。想像したくありませんが、やがて中国やインドが高齢化します。だから高齢化しても貧しくても人間の尊厳を保つことのできる社会を今のうちに設計しておく必要があります。

マネーがなくなってもコメは残ります。この辺りからが僕の暴論の鋭いところですが、日本はこういった「国破れて山河あり」という状況に、比較的強いのではないかと思います。ドラマ「おしん」の世界です。そして世界的にはフロンティアがまだ伸びようとします。それはウォシュレットより気持ちいイイ物の発明です。そもそもマネーへの欲求も「快楽追求」であったわけですから、欲望には限りというものがありません。ドラッグ・カルチャーや尊厳死もちらつきます。非道徳的なことと一刀両断するわけにもいきません。宗教を考えていくと、人間がいかに「生きる」意味に迷っているかを目の当たりにします。主権国家が持たなくなると、一気に民族や宗教に走りがちなのが人類ですから、あるいは主権国家を維持するには超宗教的なもの、を求めるかもしれません。カルトに要注意ですね。

主権国家は維持した方がいい、というのは正論だと思います。しかしそれが容易くないことも想像出来ます。イスラム過激派武装集団などを見ると、もはや国家という枠組みを全く無視しています。彼らのテロによって主権国家がいかに危ういものであるかを、私たちは見せつけられました。恐るべきは戦争よりもテロです。「国破れて山河あり」の中で、日本という主権国家をどう生き延びさせていくのか。未来を考えるなら、こう考えたほうがあるいは近道かも知れません。目指すは持続可能な田畑。勤労の喜び。そうです、言ってみれば「おしん主義経済」が描くべき未来だというのが僕の今のところ結論であります。額に汗しながら「人間とは何か」を一人ひとりが考えていく時代。そう悪くないんじゃないかなあ。とりあえず日本文化は残そうぜ、チャオ!

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