自動車はこれでいいのか(その1)
自動車は人間が機械を操作する「マンマシン系」と呼ばれるシステムである。
有人宇宙船とか、潜水艦、工場の製造ライン機械類と同じである。これらの機械を作るときは共通する設計思想は「フェイルセーフ」といわれ「人間はミス=誤操作をする」という前提から「誤操作したときには機械はその操作を無視する、または安全に停止する」と設計されている。
これを逸脱すると、機械の設計製造元が責任を問われる。
ときおり、エアバッグの不具合とかで自動車会社が行う「リコール」もこの責任に基づくものである。
ところがこの原則が自動車という機械を支配しているかというとだいぶ事情は違う。
色々あるが、まず飲酒運転を考えてみよう。
飲酒運転は問題なく現行の法律では、運転者=操作する人間の責任である。「飲んだら飲むな飲むなら乗るな」ということは、アルコールを摂取した人間、酔っ払いは操作をしないように努力しようと言うことになっている。
しかし、皆さんお酒が飲める人は考えてみよう。酔っ払うと気が大きくなって、ふだんしないことを平気でするだろう。道路の真ん中で下手な唄を歌うかも知れないし、橋の欄干を歩くかも知れない。
つまり酔っ払いに善悪の判断や羞恥心はないと言える。
その酔っ払いに車の運転操作をしていいかわるいかの判断をゆだねるというのは、おかしな理屈だろう。
この場合、操作される自動車に「フェイルセーフ」はまったく考慮されていない。ぐでんぐでんの酔っぱらいでもひとたび運転席に座れば、イグニッションが回りエンジンがかかり、あたかも操作者を選らばぬように自動車は操作できてしまう。
自動車に運転者が酔っ払っているかどうかを判別できないかというと、まったくそうではない。インターロックという装置が実用化され、アメリカの一部の州では、飲酒運転で検挙された人には取り付けが義務化されている。
この装置は、イグニッションと繋がり呼気からアルコールを検知するとエンジンがかからない仕組みになっている。もちろん呼気を吹き込まない場合もエンジンはかからない。
世界で普及しないのは、新車ならともかく、すでに走っている車には取り付けが義務化できないという問題からである。
しかし、日本には車検制度がある。新車に義務化し、車検時に「後付け」を義務化すれば、遅くとも3年後には全ての車に実装できる。
こんな簡単なことができないかと誰も不思議に思わないのが、かえって不可解である。
飲酒運転事故被害者もただ運転者のみを呪う。加害者も自分が悪いというのみ、世論も政治も運転者の厳罰化すなわち操作する人間に原因があるとしか考えない。
かつて、家庭用の瞬間湯沸かし器の不正改造で死者が出、製造会社のパロマ(名古屋市)は大きくバッシングを受けた。湯沸かし器は過剰に反応する安全装置を効きにくくする改造が行われ、使用者が想定外の長時間使用するという状況下であったにも関わらず、謝った使用をした人間の責任より製造者(機械)の責任が問われた。
飲酒運転の自動車が「殺した」人間は、湯沸かし器のそれとは桁がいくつも違う。
今こそ自動車の「フェイルセーフ」設計思想の欠落をを問うべきではないか。
日本にはないが、アメリカには、懲罰的損害賠償という訴訟がある。たとえば「健康に悪いことを承知で売ったタバコ会社に莫大な損害賠償を命じ、社会的責任を自覚させよう」という趣旨のものである。
そこでだ、世界に冠たる訴訟大国アメリカで、もし飲酒運転で捕まった人は、自動車会社を相手に訴訟を起こしていただきたい。アメリカで義務化されれば、外圧に弱い日本はようやく重い腰を上げ、飲酒運転による事故は激減する。
自動車へのインターロックの義務化は、行使するチャンスがあるかどうかわからない「集団的自衛権」より、確実に多くの日本人の命を守る必要性と重要性と実効力では断然「上物」の政策のはずだ。
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なるほど「乗るなら飲むな」は確実に遵守できますが「飲んだら乗るな」は不確実というわけですね。
正しくは「飲んだら乗っていいかどうかさえ判らなくなる」であって、故にフェイルセーフが必要なのかもしれません。
すごい!
なんていい提言だ!!!
そーだよね!
すごくいいと思いますです。
まつした