ベトナム戦争時に韓国兵は現地女性に性暴力を行っていた

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東京新聞によりますと、韓国紙ハンギョレ新聞は二十五日付朝刊で、ベトナム戦争(一九六〇~七五年)時に韓国兵が現地の女性たちに行ったとされる性暴力について、被害者の証言などを三ページにわたって特集したそうです。韓国紙による被害者の証言掲載は、おそらく初めてでしょう。女性被害者8人が証言し、いずれはベトナム政府から韓国に対して謝罪と賠償の要求があることも想定しています。

韓国といえば、日本軍による従軍慰安婦問題をさかんに取り沙汰している真っ最中ですが、今度は被害者ではなくて加害者として自国の新聞に特集されてしまったのです。慰安婦問題に関して負い目を感じている日本としては、「韓国よ、お前もか」ということになり、溜飲を下げる気分になるかも知れませんが、そうはいきません。それはそれ、これはこれ。五十歩百歩ではありますが、どちらも悪いことに変わりはありません。相殺されるものではないのです。

ただ日本人だけが戦時性性暴力を行っていたわけではない、ということは言えます。そして戦時性性暴力について、冷静に考える良いきっかけになったと思います。

国籍を問わず一般的に、戦場に送られる若い男子の性欲の強さといえば、生理的なものであり、とても理性で抑えきれるものではないと言うことをまず確認しましょう。男性には説明不要ですが、女性には一定の年齢の男子が抑えきれないくらいの性欲を持つことを、頭で理解していただきたいと思います。これは正常なものであり、平時なら妻、恋人、といった関係の女性との行為で満たされているのが普通です。ところがイザ戦場となると、悶々とした若い男ばかりで性欲を満たすことができない、非常にアンバランスな環境に人間が置かれることになります。

性医学的にみても、このアンバランスな状態は非常に危険な状況であり、何らかの解決策が必要な状態です。戦場で最悪なパターンが、捕虜にした女性を手当たり次第にレイプしてしまうことです。命を賭けた戦いに勝った直後には、男性が敵の女性をレイプしたくなる、という心理学的報告もあります。人道的に最も避けなければいけない捕虜へのレイプですが、近代以前の戦争、すなわち捕虜の取り扱いに関する国際条約が生まれる前の時代、このパターンが一番多かったと思われます。

これを回避し、性病による兵力の低下を防ぎ、軍の規律を保ちつつ、兵達の性欲の処理を行おうとして生まれたのが、従軍慰安婦です。これは強制性の有る無しや、現場での取り扱われ方にも大きな差があるため、一概には言えませんが、二番目に最悪なパターンだと言えるでしょう。三番目のパターンは、勝利した側の男性が、敗北した側の女性を自由にもてあそび、女性のほうも人によっては嫌がらずに交際するというものです。進駐軍のアメリカ兵にすり寄って行った日本人女性、いわゆる「パンパン」です。ハヌマンラングールというサルでも、ボス猿が戦いに負けた時、ボス猿の配偶者は、我が子を殺してでも新しい強いボス猿に気に入られようとするというデータがあります。まあサルと人間を一緒にするわけには行きませんが、進駐軍とパンパンの関係の話を聞くと、ついこのサル山の話を思い出してしまいます。

慰安婦アメリカ

いずれにしても戦時性性暴力を語る時、その異常な背景に考えを及ばさなければなりません。戦争というのは善悪の価値観を一時的に麻痺させた状態です。平時、人を殺せば殺人罪ですが、戦争では人を殺して英雄になるのです。それだけでも戦争が、いかに異常な状況かということが分かるかと思います。僕のスタンスは、罪を憎んで人を憎まず。戦争を憎んで慰安婦問題を憎まず、です。もちろん戦時中の狂気の中にあっても、悪は悪です。事実からは逃げることも否定することもせず、ただ謝罪するしかありません。日本は韓国に。韓国はベトナムに。

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2 thoughts on “ベトナム戦争時に韓国兵は現地女性に性暴力を行っていた

  1. 勝利した国の兵士が敗戦国の女性を自由にもてあそぶのは、3番目でなく1番目と同等に悪い事ではないでしょうか?
    もし、女性側で同意があるなら別問題で自由恋愛・職業買春の範囲で考える事だと思います。ここはぜひ分けて考えてたいです。旧満州でロシア兵に蹂躙された日本女性の話も多いことですし。

  2. 吉見義明著<日本軍「慰安婦」制度とは何か>を読みました。
    軍慰安所には三種類あり、第一は軍直営の慰安所、第二は業者に経営させる軍専用の慰安所、第三は民間の遊郭等を軍が一時的に指定して利用する慰安所だそうです。
    これとは別に現地の部隊が地元の女性たちを連行して、一定期間監禁・レイプするケースもありました。
    軍慰安所が組織的に作られた理由は、四つあります。
    第一に強姦の防止、第二は性病蔓延防止、第三には兵士のストレスが上官に向かって暴発するのを恐れて兵士のストレス解消のため、第四にスパイ防止でした。

    ここからは元軍医だった人の話です。
    1918年、日本はアメリカ、イギリスなどとともに、チェコソロバキア軍の救援を名目に共同でシベリアに出兵した。シベリアをその勢力下におこうとした日本は、列国が撤兵する中、7万人以上の兵力を送り込み、4年間戦闘を繰り返したが、戦費の浪費と3,000人余りの戦死者を出しただけに終わった。長引く戦争に抑えきれなくなった兵隊たちの性的欲求は、ロシア人女性の暴行という形で満たされていったという。そして、その結果、兵隊たちの間におびただしい数の性病患者が発生した。
    「シベリア出兵のときにね、もう何千人という花柳病ができたでしょう、それがロシア人あたりとの間でできたから変形梅毒でね、もう、2~3年のうちで発狂して脳梅毒になるような梅毒が日本軍の間に。それで、一個連隊以上、あそこの戦力が日本軍がなくなったでしょう、花柳病のため。これは異なった人種から来た梅毒はひどいですからね。」

    死の恐怖と直面したとき子孫を残す行為に走るのは生物としての本能なのかも知れません。やっぱり戦争を起こさないことが一番大事なことだと思います。

    太平洋戦争後、進駐軍のために慰安所を設置したのは日本政府です。「慰安婦」とか「慰安所」とかの名称は「政府」や「軍」のものであることを示しているのですね。

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