今月8月1日から年金制度が変わり、最低納付年数が25年に満たない人でも、受給資格が得られるようになりました。とはいえ満額を受給するには20歳から60歳までの40年もの納付が必要で、まさか20歳の学生だったときに年金を納付しようなどとは、僕もまるっきり思いつきませんでした。年金とは働き始めてから納付するものだと思い込んでいたのです。自営業者などでは「どうせ25年も払い続けるつもりはないし、受給金額も微々たる老齢基礎年金なんかいらない」と放棄する無年金者が半数近くになり、そういう人たちにも年金加入のチャンスを広げるのが、今回の改訂の狙いだったのではないかと思います。

しかし急激な少子高齢化のために財源は厳しくなる一方で、僕たちの世代以降は満額支給されても国民年金では生活できるレベルにはほど遠く、雀の涙であることには変わりはありません。少子高齢化に加えて年金資金の財テクに、政府が思いっきり失敗したのも一因です。年金は税金ではないから国会を通す必要はなく、役人の思いつきで財政投融資というギャンブルみたいな運用をしてしまったのです。非常に腹が立ちますが、怒りの声を上げても、失われた財源が戻ってくるわけではありません。

ここは一つ、一億総活躍社会に向けて、中高年者労働力の活用を推進するべきではないでしょうか。昔の60歳といえば還暦と呼ばれて、人生のリタイアの基準になっていましたが、今は70歳でもピンピンして現役で働いている人が大勢います。もちろん個人差はありますが、年金が当てにならない以上、死ぬまで働くしか道は無い人が激増すると言えると思います。もちろん若いときと同様に働けるのか、若い人の雇用を奪っていないか、などの問題点はありますが、定年後に働く人にとっては死活問題とも言える切実な実態が目の前にあります。50代、60代を、労働力としてどう捉えるべきなのかを考えてみました。

企業側も定年延長や再雇用などの対策を打ち出しています。でもそれはあくまで企業単位であって、中小企業など国民全体を視野に入れると、全く十分ではありません。最近、大企業の多くは「役職定年」というようなシステムを取り入れています。出世競争は40代まで。ある年齢までに役員になっていなければ、管理職の座を降りて一般社員としてその後の会社人生を送っていただく、というものです。企業内の世代交代を促し、頭脳・体力が絶頂期である40代の人材に、会社の中枢部を担ってもらおうという狙いで、企業の人事としては確かに理にかなっています。

役職定年を迎えると、かつての部下が上司になるのですから、プライドが許さないとでも思うのでしょうか、潔く(?)退職してしまう人も中にはいます。(僕にはそんなのプライドだとは思えませんが)。高級官僚なら天下り、大企業なら関連子会社へ、という道もあるでしょう。最悪なのが仕事へのやる気を全く失ってしまい、窓際族として、ろくに仕事もせずに会社で過ごす人です。それだけは世の中のためにならないので困ります。そういう人が生まれる背景には、本音では転職して再び活躍したくても、そのための道が整備されていないという社会的問題もあると考えます。もちろん再雇用後の自分の地位に納得し、一兵卒として仕事にやりがいを見いだし、過去の栄光を語ることもせず、職務に邁進していらっしゃる人も多く、かくあるべきだと僕も思います。

役職定年を受け入れて、あるいは再雇用として長く勤務できるのは、かなり恵まれた立場の人です。給料が減るのと、かつての後輩に頭を下げて印鑑を押してもらう時のちょっとした違和感さえ気にしなければ、今まで通りの経験とノウハウを生かして、仕事を続けられるからです。しかしいったん会社を離れて、別の会社に新規採用されようとすると、こんどは立場が極端に悪くなります。税理士などの技能でも無い限り、これまでの職務経験は評価されません。全くの新人です。そもそも定年を迎えた中高年者を、あえて雇用するメリットを、企業側は見いだすことができずにいます。同じ新人なら物覚えがよく将来性のある、若い人を雇いたくなる気持ちも分かります。しかし見方を変えれば、50代、60代はある意味で「働き盛り」だとは言えないでしょうか。

職種によって差はありますが、確かに現場の仕事は体力が必要です。その点では50代、60代の人材に30代のような俊敏さを求めるのは難しいかも知れません。けれども50代、60代の人材というのは、十分なキャリアを身につけていて、なおかつまだ認知症にはほど遠く、最も使い甲斐のある世代だとも言えます。政治の世界では、この世代の人々が最も活躍していることからも、うかがい知れるでしょう。その貴重な労働力である世代への対応が、今の雇用システムではポッカリと抜け落ちていることが、非常に残念なことだと思います。良くて窓際族、ともすれば濡れ落ち葉といった中途半端な立場のまま、多くの民間の中高年者は放置されているのです。若い層のために整備されたハローワークと、働けない高齢者のための年金制度、二つのセーフティーネットのどちらにもかからず、隙間からスルリと滑り落ちてしまった世代だとも言えるでしょう。

僕の場合はこの春、57歳でありながら20代向けのバラエティー番組のディレクターを担当しました。57歳にもなって、嬉々として制作現場でディレクターをする人は、まず存在しないでしょう。普通は30代のする仕事だからです。こんなことは特殊な例であり、それは単に僕が制作現場の仕事が好きな酔狂なオジサンだというだけの話で、もちろん一般化することはできません。あくまで酔狂なオジサンの話として言わせてもらえば、僕は30代のスタッフと混じって働きながら、体力の衰えは全く感じませんでした。67歳になっても現場を走り回れると思っています。そんな僕の例を一般化はできませんが、個人差によって個別に判断していく必要があることは確かだと思います。少なくとも僕自身は、一回り以上年齢の若い上司の指示に従って、喜んで働くタイプです。

中高年者労働力を活性化させるには、年齢という先入観にとらわれず、個人差をしっかり見ていくことが大切です。それは長く務めた職場ならある程度可能ですが、新しい会社が新規採用する場合には、情報が少なくてかなり苦労すると思われます。また営業何年、経理何年といった職務経歴書の数字には現れてこない、何十年もの人生経験から得たノウハウを新しい職場に生かすメリットも、企業側にとっては判断基準が分からず、無視せざるを得ない状況となるでしょう。こうした分野に対応するきめ細やかな評価基準の策定など、行政の手厚い支援が、今すぐ必要な時期にきていると思います。中高年者の個別の活かしどころを明確にし、最大限に活用できる仕組みを具体的に作り、企業への分かりやすいアプローチを行うことが、新たに求められていると言えるでしょう。

60歳でリタイア、定年後の仕事はシルバー人材センターで草むしり、といった旧態依然としたシステムでは、今の時代は通用しないのです。口では一億総活躍社会と言いながら、現状を見ていると、行政が本気で50代、60代を重要な労働力として考えているようには思えません。例えば70歳まではしっかり働ける仕組みを作る、それ以降はしっかり年金で面倒を見る、といった具体策が必要ではないでしょうか。行政側が「働き盛り」として50代、60代を捉え直す視点が、今や必須になっているのだと、自分と同年代の求職中の友人を見ながらしみじみと確信するのでありました。

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