命の道「塩の道」を取り戻せ〜足助の塩ブレンド職人〜
今、「塩」が空前のブームになりつつあります。爆発的なヒット商品となった「おにぎりが美味しい塩」「おにぎりの塩」や「イチゴに合う塩」など、こだわりの塩を求める人たちで、業界は今揺れ動いています。塩という人体に不可欠な、一さじの調味料が、あらゆる料理の味を決めているという、この基本的な事実に消費者たちが注目しているからです。
1905年に明治政府が塩の専売制を始めてからというもの、1985年に日本専売公社が民営化されて塩を自由に作ったり販売したりできるようになるまで、日本人の考え方の主流は「塩」=「NaCl(塩化ナトリウム)」という化学の概念に基づいていました。専売公社が売っていた食卓塩も、塩化ナトリウム99.5パーセントに、塩をさらさらにするため炭酸マグネシウムを0.5パーセント組み合わせた、ケミカルな物質であり、私たちはそれを塩と呼び、家庭の食卓で普通に使ってきました。
しかし料理人やグルメの人たちは、海水から取れる天然の塩には、「にがり」と呼ばれる物質を始めとして、硫酸カルシウムや硫酸マグネシウム、塩化カリウムなど微量なミネラル成分が含まれていることを知っていました。そしてそのNaCl(塩化ナトリウム)以外の様々な微量なミネラルの配合具合が、料理の味覚を左右する決め手となることを知っていました。だから彼らは塩にこだわりました。日本料理に合う本物の塩が珍重されました。
今や世界中から集められた300種類の塩、なかでも日本産の塩だけでも90種類。これらを一同に集めた、塩の専門店で気軽に買える時代です。ウユニ塩湖の塩まであり、世界中の岩塩が集められています。世界で生産される天然塩の4分の3は岩塩であり、日本のように海水から作られた塩は4分の1でしかありません。日本では岩塩は全く採れませんから、海水から様々な方法で乾燥して作るのです。塩の産地によって含まれる微量ミネラルの種類や異なり、様々な味のバリエーションがあることが分かります。これらの塩を手に入れる方法については、沖縄に本社を持つ「パラダイスプラン」の西里さんにお任せしましょう。
驚くべきことは、日本にも多くの塩の産地が生まれたというのに、その塩のブレンド技術を持つ職人が、なんと日本にたった一人しか現存しないということです。そしてその歴史的に貴重な塩ブレンド職人の方にお会いし、伝統産業を復興していこうというCSJのプロジェクト「塩の道会議」が、そのご本人に中心人物になってもらってスタートしました。愛知県豊田市の足助にある塩問屋「莨屋(たばこや)」さんの9代目、岡本さん。江戸時代から備前、赤穂、讃岐、阿波、三河といった産地から集められた個性の違う海塩が、長野県の塩尻へと運ばれる前に、いったん足助の塩問屋の手によってブレンドされてきました。ちょうどウィスキーがブレンド技術で味が決まるようなものです。
これについてはCSJの方で本格的に事業を進めているいる真っ最中なので、そちらにご注目いただくとして、僕はあえてその本題からスピンオフして、このブログでは「塩」についての個人的な思い入れを、少々お話ししておこうと思います。僕は大学こそ文系に進学しましたが、高校三年生までは理系で、「塩」といえばNaClという感覚で育ってきました。にがりなどは不純物であり、純粋な塩化ナトリウムこそが「塩」であると思ってきました。大人になってから婚約者の実家に近い、長良川沿いのステーキハウスで、こんなに美味いステーキは食べたことが無い、という料理に出くわしました。その時初めて「塩」の違いが味を決めるのだと、料理長から教えられました。
食後に料理長がご挨拶に来てくださり、しばらくお話をさせていただきました。僕たちが渋谷に住んでいると聞くと、
「たばこと塩の博物館に置いてある、大きなピンクの岩塩。あれを譲ってもらおうと思って、五千万円だすと交渉したんですよ。でも断られました。何とかして手に入れる方法はないものですかね」
とそのオーナー料理長は生真面目な口調で言いました。僕は、ステーキには岩塩が合うのですか、と尋ねました。料理長は面白そうに笑って、
「ステーキにしか岩塩は合いません」と言いました。「あの岩塩はステーキにだけ、何故か抜群に相性が良いのです。レアの良質なステーキにあの岩塩を使うと、2倍も3倍も味が美味しくなります。でもその他の料理には、岩塩はほとんど合うことがありません。もちろん岩塩の種類にもよるでしょうが、私が個人的に探した範囲では、日本料理には、やはり海塩をつかう方が良いと思います」
渋谷に帰ってから、僕はいつも前を通りかかっている、公園通りの「たばこと塩の博物館」の中に入ってみました。(その頃はまだ、移転前で、渋谷の公園通りにあった)。問題の大きなピンクの岩塩は、入り口のすぐ脇に、招き猫のようにちょこんと置かれていました。思ったほど大きくは無く、むき出しで埃がうっすらとかぶっていました。見れば小さな札が着いていて「岩塩・パキスタン産」とだけの表記。そういえばネパールで山岳取材をしたときに、岩塩の採掘場を通りかかったことがあり、このていどのピンク色の岩塩はそこいら中にゴロゴロと、それこそ二束三文で転がっていたのを思い出しました。
ネパールの岩塩とパキスタンの岩塩では、また成分が違うのかも知れない、と僕は思いました。僕はそれよりも学校で理科の時間に行った、食塩水の電気分解、という実験の様子が頭に思い浮かばれて仕方がありませんでした。理科の先生は白衣で理科室の壇上に立ち、まずは酸とアルカリの中和の実験から始めました。片手には「塩酸」とかかれたガラス瓶を持ち、リトマス試験紙を入れて示します。リトマス試験紙が真っ赤に変わったのを見せると、せんせいはまた別の瓶を持ってきて「水酸化ナトリウム」の水溶液だと説明しました。こちらはリトマス試験紙が真っ青に変わりました。
「この塩酸も水酸化ナトリウムも劇薬で、強烈な酸性と、強烈なアルカリ性を持っている。うっかり手を突っ込んだりしたら、人間の手なんてたちまち溶けてしまって骨になってしまう。危険だから先生がやります」
そういうと白衣の先生は、メスシリンダーで正確に量って、希塩酸を入れたビーカーに水酸化ナトリウムの水溶液をそろりそろりと混ぜていきました。混ぜ終わったら、黒板に「HCl+NaOH=NaCl+H2O」と書いて、混合液にリトマス試験紙を入れました。リトマス試験紙は紫色のままでした。理科の先生はプラスイオンとマイナスイオンの話をして、これで酸とアルカリが中和したのだ。要するに今ビーカーの中にあるのは、ただの食塩水だ、と嬉しそうに説明し、人差し指を突っ込んでペロリと指をなめて見せました。「うん、しょっぱい」
嘘だ。と僕は思いました。あんなに危険な酸と、人間を溶かすくらい強い水酸化ナトリウムを混ぜ合わせて、人畜無害な食塩水になるなんて考えられない。あんな強烈なパワーを持った薬品同士を混ぜ合わせて、できあがった食塩水など、どう考えても怪しい。普通の塩水のふりをしていて、実は奥に何かを秘めた、とんでもない薬品なのではないのか。と子ども心に思いました。さらに食塩水の電気分解をしてみせられたときには、杉江少年の思いは確信にかわりました。どういう化学反応が起こったのかは詳しく書きませんが、要するに食塩水に電極を突っ込んで電池をつないだところ、ぶくぶくと泡が出始めて、それぞれの泡を試験管に集めてみたら、酸素と水素だったのです。酸素には蚊取り線香を突っ込んだら激しく燃えだしたし、水素にはマッチの火を近づけただけで、ボン!と爆発しました。
やっっぱりだ。食塩水は実はとんでもない薬品の水溶液が、安全と平和の皮を被っているだけに違いない。「塩」とは実は恐ろしい化合物なのだ。と杉江少年は誤った化学知識のまま成長し、それでもなんとか理系の成年へと育ちました。しかしこの頃に感じた、「塩」がイオン化傾向の両雄である塩素とナトリウムの化合物であり、あらゆる化合物の基本であるという事実は、僕に「塩」に対する畏敬と恐怖の念を植え付けて行きました。お相撲さんが土俵に蒔く「清めの塩」も、僕にはそれが塩でなければならない理由が解るような気がしました。極めてナチュラルにしてすべての基本になるマジカルで特殊なケミストリー。それが僕の「塩(塩化ナトリウム)」に対する第一印象でした。
さて話は食べる「塩」に戻ります。高血圧の傾向がある僕は、医者から塩分を控えるように言われていますが、まったく塩分を取らなかったら人間は死んでしまうそうです。それはそうでしょう。動物は細胞の働きに一定の塩分を必要としています。実は塩が専売制になったため自由に塩が作れず、戦時中は塩も配給制になり、塩不足で死んだ人が1万人もいたという説があります(ウラはまだ取っていません)。本当だとしたら恐ろしい話ですね。日本の塩の自給率は12パーセントしかないそうです。(諸説あり5パーセントとも15パーセントとも)。食糧自給率の低さが問題であるように、塩の自給率の低さも気になります。主にオーストラリアやメキシコから輸入しているそうです。
尤も塩の自給率と言っても、数字のマジックもあります。日本の塩の消費量は、人間の食生活用の消費が12パーセントくらいだそうです。80パーセントの消費がソーダ化学工業用であり、人間の口に入る食塩は、国産で十分自給率を満たしているとも言えます。ソーダ化学工業がすたれてもらっては困りますが、たちまち日本人が口にする食塩が不足する、と不安感を煽ってはいけませんね。ここは人間の食用としての塩と、化学工業用の塩化ナトリウムを分けて考える必要があります。冒頭にも書いたとおり、僕たちは今、おいしい塩を求めています。それには江戸時代より海のなかった信州(今の長野県)の人々に、塩尻を通して足助から届けられていた伝統の塩ブレンド技術にスポットを当てるべきだと、僕たちCSJでは考えています。それが地政学的にもトヨタに若い労働力を取られ、過疎の町と化しつつある足助を、血の通った商都へと復活させることにつながります。
中央から地域ではなく、地域から中央へ、のパラダイムシフトに挑戦するCSJとしては、「塩の道会議」を一つのモデルケースとして成功させたいと考えています。それが他の地域にも応用がきくのではないか。足助が立ち上がり、南阿蘇村が立ち上がり、沖縄が立ち上がれば、中央政府に依存しない地域連帯の姿が見えてくるはずです。9代続いた莨屋(たばこや)さんの伝統的な職人としての塩ブレンド技術を、彼をグランドマイスターとすることによってギルド化し、「塩の道会議」認定のCertificateされたソルトソムリエを育てて、あらためて全国に送り出していこう、というプロジェクトが着々と進んでいます。
みなさんは「塩」についてどんなイメージを持っていますか? 日本人の暮らしと「塩」の歴史について、ちょっと考えてみるのも面白いのではないでしょうか。
(参考サイト)
公益財団法人 塩事業センター
本家本元。専売公社が民営化した時に、塩部門を引き継いだ団体です。
一般社団法人 日本塩工業会
塩業の統括。
ソルトサイエンス研究財団
塩に関する研究財団。
「塩と暮らしを結ぶ運動」公式サイト
かしこくたのしく塩と暮らし、塩を学ぶ。
※CSJのサイトも今月中にはオープンする予定なので、オープンしたらリンクを載せます。今しばらくお待ちください。m(_ _)m
CSJ日本を考える市民の会公式サイト
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