未曾有のコロナ禍で東京オリンピックは中止すべし、との世論を押し切って、異例の開催となったTOKYO2020ですが、スポーツそのものは真夏の空の下で、さわやかに駆け抜けていきました。

「なあに、競技が始まってしまえば、誰もが夢中になるさ」と3S政策を推し進める為政者の言ったとおりに、僕たちは見事に洗脳されて、果敢に競技に取り組むアスリートの姿に魅了されてしまったようです。スポーツにはそれだけの力があります。スクリーン、スポーツ、セックスの3つのSを与えられれば、僕らは単純に満足し、いとも御しやすい国民になります。

どのみちオリンピックは開催されるのだし、コロナ禍は感染爆発を起こす。それならと僕はテレビにかじりつくことを決め込み、競技を観戦することにしました。いやあ面白かった。開会式は恥ずかしくなるほど酷い演出で、どうなることかと思いましたが、いざ一つ一つの競技が始まってみると、さすがに見ごたえのあるものでした。アスリートたち個々人には罪はない、という言葉通りです。

とりわけ僕が注目していたのは新種目のスケートボード(ストリート、パーク)とサーフィンでした。僕自身がもともとサーフィンやスケボーをやっていたというのが理由です。サーフィンについては撮影が難しいので絵になるかな、というのと千葉の海でまともな波がタイミング良く来るかな、と懸念がありました。波はそこそこ良く、チューブも決められたので、世界に恥をさらすヒザコシの波、という最悪の事態は避けられました。でも映像化の工夫はまだまだ必要だと感じました。

スケートボードの方は、これは絵になるな、と思いましたがドンピシャでした。そもそもスケボー文化というものは、仲間内で互いに演技を撮り合い、動画サイトに公開して楽しむもの。公開された動画が高い再生数をたたき出すと、スポンサーもついてくるというビジネスモデルであります。今回はオリンピックと言うことで、自撮りも含めて動画は選手自身も公開が禁止されていました。NBCに気を使ったのでしょうが、不思議な感じがします。

スケボーは優雅に見えますが、実に危険なスポーツです。着地に失敗すれば、そこはコンクリートです。畳やマットではありません。コンクリートにもろに激突する競技は他にありません。スケボーはまさに「コンクリートとの格闘技」と呼んで差し支えないと思います。僕がスケボーをしていた40年以上前は、防具もなかったので、命に関わる大ケガをしょっちゅうしました。コンクリートとの激突はめちゃくちゃ痛いです。

スポーツの多くは、基本は「受け身」をどれだけ完璧に身につけるか、から始まります。柔道の初級も受け身からですが、ケガをせずに上手に転ぶテクニック、はどのスポーツにも求められます。スキーでも、上手い人とは上手に転べる人のことです。上手に転べるという自信があって、スキー滑降であのスピードを出せるのです。同じ滑りを下手な人がやると大ケガをします。

コンクリート上での受け身が求められるスケボーは、究極の受け身のスポーツでもあります。オリンピックルールでは18歳以下はヘルメット、ニーパッド、エルボーパッドの着用が義務づけられていますが、僕は年齢にかかわらず防具は必要な気がします。一流の選手ともなれば、防具無しでコンクリートの上で完璧な受け身が取れる、ということでしょうか。謎です。

スケボーは40年前からありましたが、サーフィンの代わりに波のない日に路上で練習する、といった程度の使われ方でした。今ではすっかり変わってしまい、専門のパークが各地に作られています。トリッキーな技も大量に生まれています。そして何より、子供の遊びからスタートしているという点が素晴らしいではありませんか。みんな笑顔です。

19歳の四十住(よそずみ)さくらが金メダル、12歳の開心那(ひらき・ここな)が銀メダルとティーンエイジャーの活躍が目立った女子スケートボードですが、僕自身は惜しくもメダルを逃した15歳の岡本碧優(みすぐ)に深い感銘をうけました。

彼女のラストは、完全に金メダルを意識した、最も目を見張る技の大きさ、高さ、スピードともに抜群の試技でした。540(ファイブ・シックスティー)を2本連続で決め、最後に転倒さえなければ、高得点をたたき出していたプレイでした。そのチャレンジ精神に胸のすく思いをしたものです。

この岡本が最後の着地に失敗し、泣きべそをかいて戻ってくると、すぐに開心那をはじめ仲間たちが駆け寄りました。そして、ポピー・オルセン(オーストラリア)とブライス・ウェットスタイン(米国)の2人が岡本を担ぎ、肩に乗せて演技を称賛したのでした。これに岡本は泣き顔から笑顔。ガッツポーズも見せていました。

会話は聞こえてきませんでしたが、「今のすごいね、着地してたら金メダル間違い無しよ」と言ったところでしょうか。これをスポーツマンシップと呼ぶ人もいますが、僕は単なるスポーツマンシップを超えた、スケートボード・カルチャーとしての新しい仲間意識だと思います。

一緒に練習したり大会に出たりする相手はライバルであると同時に仲間であり、互いに技を見せ合い、トリッキーな技を一緒に考え、成功した曉にはライバルに撮影してもらって、動画サイトに投稿する。これはもう今までにない、新しいスポーツのあり方だなと感じました。

オリンピックで僕の印象に残ったのは、こういったアスリートたち個々人の汗や涙、笑顔といったものだけであります。大失敗だったと言わざるをえない開会式の演出を含め、組織委員会にはもの申したいことが山ほどありますが、今日のところは爽やかなスケーター・ガールたちの無邪気な姿に免じて今日はあえて書きません。

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9月22日追記:タイトルをそもそも付け間違えました。(当初のタイトル=スケートボード・ガールズ)大変ダサい間違いです。申し訳ございません。彼女たちは「スケーター・ガール」と呼ぶべきでした。サーフィンをする女性のことを「サーファー・ガール」と言いますが、決して「サーフボード・ガール」とは言いません。同様にこのスポーツをする人のことは、プレイヤー自身も名乗っていますが、スケーターが正解です。

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2 thoughts on “スケーター・ガールズ

  1. 同じ姿をスポーツクライミング複合で見ました。ライバルであるとともに、激ムズの壁をいかに攻略するかの共同挑戦者といった連帯感が新鮮であり清々しかったです。

    1. スポーツクライミングも、敵はコンクリートですからね。プレイヤーは互いに一緒に遊んでいるんですよ。たぶん。

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