ひどすぎる後藤さんバッシング
デヴィ夫人の「自決してほしい」発言や、僕のところへ送られてきた「日本に迷惑かけた偽善者」という後藤さんに対する批判。このようなゆがんだ中傷が日本だけに見られる現象だったら大変です。彼ら特有の死者にムチ打つ「偽悪」ぶりっ子、「出る杭はうて」精神の実態とそのおそるべき弊害について、あえてここで流さずにしっかり検証してみたいと思います。
人間、誰しも好き嫌いはありますから、アイツなんとなく虫が好かないな、と感じるのは勝手です。でも口にしていいことと悪いことがあります。先日僕は「後藤さんの遺志を受け継ぐとは」というブログを書いたところ、メール等で送りつけられてきた反論は目を疑うものでした。「偽善者」「スタンドプレイだ」「危険地帯に入るなど自業自得だ」「個人が勝手なことをして、日本に大変な迷惑をかけた」…etc
あのタレント、デヴィ夫人の「自決しろ」発言や、責任ある人の口からでた「蛮勇」発言を裏付けるような、無知蒙昧な誹謗中傷が僕のところへも送られてきたのです。
日本人の、日本人ジャーナリストを見る目がこんなにもお粗末であったとは、情けないやら悔しいやら。逆に危機感を感じるほどでした。「お涙頂戴だ」「ヒーローになりたかっただけの自己陶酔」冗談じゃない、お涙頂戴や偽善でお前も首をナイフで切られてみやがれ、と思わず返信したかったけどぐっとこらえました。何度も書きましたが、後藤健二さんは好き好んで火中のクリを拾いに行くような、浅はかな初心者ジャーナリストではありません。むしろ安全には徹底したこだわりを持ち、危険を察知する能力を磨きあげたベテラン中のベテランです。そして今回、現地の惨状を伝えられるのは自分しかいないと覚悟を決めて出かけたのです。
そうです。誰かが伝えないと、それは無いことになってしまいます。それがジャーナリズムです。時として命の危険を伴うことも、十分に自覚しているのもジャーナリストの仕事のうちです。その上であえて危険なISILの支配地域に入り、現地で暮らす人々の姿を伝えようと決心して、後藤さんは出かけたのです。他にそれができる人間がいなかったから。因果なことですが、誰か他にそれを伝えるノウハウを身につけたジャーナリストがいれば、その人が行ったかもしれない。だが他にいなかった。だから最高の中東取材のプロフェッショナルが出かけて犠牲になるという最悪の結果を招いたのです。
「自分が必ずカメラに写り込んでいるから目立ちたがりだ」との批判もありました。無知もいいところです。単独で報道しようとしたら、誰が報道しているのか明らかにするために、自分を画面に入れなければならないのは当然のこと。レポーターを連れて行っていない取材では常識とも言えるカメラワークです。今回、後藤さんの行動に文句をつける人は、今一度素直になって、ジャーナリズムの大切さに目を開いて見ませんか? そして後藤さんが英雄視されることに嫌悪を感じるなら、それは妬みややっかみではありませんか?
好きか嫌いかは勝手だが、今回殉職した後藤さんに、ゆがんだ中傷の言葉を投げかける人には、事なかれ主義日本の弊害が染み付いていると思えてなりません。それではテロリストの思うつぼだし、後藤さんの熱い情熱も生きてこないことになるのです。どうかストレートに後藤さんの仕事に理解を示し、御霊が安らかに眠れるよう、祈ってほしいものです。
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1830追記:これが本当だとすると政府の対応はまるで辻褄が合いませんね。
どうにも混乱しているようですが、報道内容を元に後藤さん関連事件経過を見てみます。 – 誰かの妄想・はてな版
2015/12/24追記
またもや拘束者が出た模様です。安田純平さんの安否が非常に心配だ
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彼が残したビデオメッセージの彼自身の目を見れば、彼の言葉に嘘がないことは分かるのではないでしょうか? 100%自己責任、何があってもシリアの人たちに責任を負わせないでください。崇高な使命感と常人にはできない覚悟が現れています。 地球の裏側の安全な日本でコタツに温もりながら批判する類の話ではありません。
僕も彼の眼差しを見ました。全く信じられるものでした。
いろんな意見を言える社会が素晴らしいことだと、心の底から思います。
良いとか、悪いとは言えませんが、こんな風に意見を言える社会に生かされていることを有り難いと思います。
そして、こんな社会の日本を守っていきましょう。
いつまでも自由にものが言える日本であり続けましょう。
全くその通りですね。病気してはじめて、健康でいられることのありがたさがわかりますが、日本は軍隊を持たずとも平和な世が続いたせいか、感情のままたいした裏付けもせず好き勝手に他者や政府を批判する輩が多いですね。自分たちが平和に暮らしていられるのは一体誰のお陰なのか、またその平和を子孫の代に引き継ぐにはどうしたらいいか、後藤さんの事をきっかけに、日本人なんだからこの身は安泰だという平和ボケした考え方に疑いを持ったほうがいいと私は思いました。
杉江さん、貴殿が正しいです。そして当たり前のこと。毅然と参りましょう。
了解です。ありがとうございます。
ひどいですね。。同じ日本人として、情けないです。そんな反論はごく一部で、ほとんどの日本人は違うと信じたいです。
殆どの日本人は大丈夫だと、このブログへの反応を見て確信しました。
いくつか質問があります
1)悲惨な環境で生活している子供達は、ISIL周辺だけはありませんが、何故あの周辺にフォーカスしたのでしょうか?
2)伝える事で、どのよう行動変化を期待したのでしょうか? 行動変化は持続性があるものでしょうか?
ここから、私の考えです。
子供視点のレポートと言うのは、多くは技術的な課題で、他人に移転可能と思います。自らレポートするので無く、現地の方々を育成していれば?
そしてまた、別の場所の悲惨を伝える
と言うの考えが良かったのでは?
これなら、継続性のある報道、より安全な報道ができたのでは?
また、伝える先も、遠い日本では無く、より近隣国の方が、効果的であり、持続性があったのではないでしょうか?
1)今だからでしょう。
2)僕だったら平和を希求する持続性のある行動の変化を期待します。
現地の人々を育成するのは僕も賛成です。簡単ではないですけど。
今回の件で一番感じたのが、本当の意味で自己中心的な日本人が増えた。でした。
自分達の浅い経験や浅い知識の中だけで批評する。
しかも顔の見えないネットワークの世界で一方的に…。
相手の環境、仕事を理解せずメディアや世論の風潮に流される。
何が大事なのか?それが理解できる日本人
が政治家含めて減少している気がします。
また情報がありふれていて何が真実で何が嘘か?長い歴史を学んで行くなかで個々がしっかりと正しいとらえか方が出来ているのか?
そうでないと戦争が起こる日もそう遠くではないのかな…。本当にこの先日本は何処へ向かって行くのか不安です。
後藤さんは当たり前ですが、仕事、ご家族、色々な環境の中、ご決断されたのだと思います。そして最悪な結果になってしまったことはとてもとても残念な事です。
今回の件でヨルダンの空爆が再開されました。これを見て、日本人一人一人が何を感じ、自分達の事に置き換えたらどうなるのか?
多くの方は平和を求めています。
国民の一票で変えられる世の中作れるように願います。
そしてジャーナリストの方も大変なお仕事だとは思いますが使命感を持って情報配信をしていただきたいと思っていますし、メディアの方もそれをより解りやすく正しく報道していただきたいとおもいます。
またその使命感、責任感をもっと感じられる日本人が増える事を願っています。
これからの日本がどうなっていくのかは、私たち一人一人が考えていくことが大切ですね。
御冥福をお祈り致します。悔しい死です。
後藤さん、国葬でも良いです。
国葬はちょっと。。。それよりご遺体は戻るのかな?
「蛮勇」発言には私も耳を疑いました。
政府の要人がこの程度の認識なのですから、心ない書込があるのも仕方がないことなのかも知れません。
しかし、日本人多くは後藤さん日頃の行動に敬意をはらい、その死に対しては、悲しみと ご冥福を祈っているはずです。
政府の要人にこそしっかりした認識を持ってもらいたいですね。
しかし、なぜフリーランスの人が多いんですか?もし、そういう同志が居るなら協会とか、NGOとかあっても良いのでは?と、疑問に思いました。
負傷しても、そこで保険とか積み立てできれば、もっと機材や事前情報にお金が使えると思うのですが?
素人の意見で申し訳ないです。
後藤さんもそれなりの会社や組織に加盟していて、保険も特殊なのに入っていたと思いますが、今回の場合は支払われるかどうか。
後藤さんの行為はジャーナリストとしての使命感からきてるものだと思います!
その使命感はたたえるべきだと思います!
使命感を貶す奴等は許せません!
自分も15歳の時から日本国民の為になら何でもやる使命感を持ってます!
その使命感を正しい方向に生かすことを期待します。
後藤さんのひどいコメントみて、人間性を失う方がいらっしゃるのね、と思いました。誰が好き好んで命を落としにいくのか、偽善者などと言っているあなた、自分は人のために何かしたことあるのでしょうか?
ニュースを見て後藤さんの姿がとても悲しく見てて辛かった。人の命を簡単に残虐に扱う今回のニュースには、とてもショックでした。
平和な日本に何時か戦争がおきてしまうのかな?なんてふっと思う程でした。これ以上の犠牲者が出ないことを祈るだけです。
平和な日本を守り抜こうという意識と努力が必要だと思います。
こんなことになって、ようやく中東で起きていることや後藤さんたちのされていたことを知り、感じることになりました。戦闘地域や他の悲惨な状況の国々を渡り歩いていたら、日本の浮ついた現状は仮想現実のように感じられたのではないかと思います。後藤さんが命をかけなければ私たちは気づくことができなかったということを、情けなく思います。
後藤さんバッシングの類の記事を見るたび、ある歌の「闘う君の唄を 闘わないやつらが笑うだろう」という歌詞が心に流れます。
おっしゃるとおり中東問題が身近なものであることを国民に知らしめましたね。
本当に。こんな形で、後藤さんたちジャーナリストの伝えたいことを初めて受けとるなんて。
批判する人や、疑問を抱く人は、すべてが他人事で、世界の誰が苦しんでいても、誰が空爆で死んでいても、その家族がどんな気持ちかも。そんなことは本当にどーでもいいんでしょうね。
でも、自分自身理解はできても、行動ができるかと言われたら。
本当に後藤さんのご冥福を祈ります。
ISILに自分達の主張を取材してくれ、もしくは湯川遥菜の裁判の通訳をしてくれ、と打診された。だから、後藤さんは行かなければならないと決心したのだろうと理解しています。そういった救出可能性が無ければ、ISIL支配地域に2014年10月22日日本出発~2014年10月29日帰国という短期滞在で行くことは有り得ないです。
常岡浩介さんがISILから裁判の通訳を頼まれシリアに向かって戦火の為ISILの幹部に会えず帰国したと仰っていますから、後藤さんにも同様のことが有ったとしても不思議ではないです。誠実な人柄では騙されてしまいます。詐術に嵌まった人に自己責任論も英雄気分など中傷は成り立たないです。
後藤さんは現地ガイドの2人目を信頼して、裏切られたのだそうです。
そもそも「ジャーナリスト」という仕事について、
日本人はあまり理解していない人が多い。
いわゆるマスコミと変わらないと思ってる。
それと、
ネット上で直接相手が見えないのをいいことに、
言葉で裁く(判断する、批判する)ことに慣れ過ぎ。
人格形成に重要な家庭のあり方と、
学力を上げることばかりに執着した学校教育の方針や制度を根本から見直さないと、
人として大事なものがどんどん失われていく。
日本人は転換しないといけない。
ネットで直接相手が見えないことをいいことに、強気になりひどいことを言う傾向はとても悲しいことだと思っています。
自分もSNSに後藤さんの事を書いて発信したところ、
バッシングのような侮辱のようなメッセージが来ました。
非常に情けなく、悲しい気持ちになりました。
なんとなくSNS発信する気が失せてしまっております。
後藤さんは「自分がなりたかった理想の姿」だと共感してしまいました。
今回の結果は自分の一部を削ぎ落とされたような脱力感です。
でも、自分は生きているのだから、
自分のできる目の前の事を頑張っていかないと、
いつまでも感傷に浸っていてはいけないと
ハラをくくって生きて行こうと思います。
後藤さんのご冥福を心よりお祈り致します。
江口さんも同じような思いをなされたのですね。正直な気持ちだと思います。
お世話になっております、ゆっきです。
主義信条はともかく、
人が死んでいるのに、悲しんでいる人がたくさんいるのに、平気でそんなことを言う・・・
私達の倫理観はどこへ行ってしまったのでしょう。悲しいですね。
そのような誹謗中傷をする人達は、
自分達と外国の人達は、「根本的に違う」と思ってるのではないでしょうか。
確かに、宗教的な争いはほとんどない日本。
宗教や宗派が国を二分する社会ってピンと来ないだろうし、
それが「あの人達は大変だね~」みたいな、違う世の中、違う人達、に
見えてしまっているのではないか。
そうだとしたら、それは逆に「日本は平和だ、日本人はそんな愚かなこととは無縁だ」という
はき違えた民族主義に結びついてしまう可能性があり、
とても危険です。
たまたま宗教争いはほとんどないけれど、
国を二分する事態に発展しかねない問題
(原発、憲法、安保法制・・・などなど)はいくらでもあるし、
どこの国のなに人であれ、人間である限り、
どんどん誤った方向にうねりが向かったり、国全体が「過激化」する可能性は常にある。
それによって、弱い立場の人々を苦しめてしまう可能性も、常にある。
戦争に突入した日本もそうだったように。
だから、他人事ではない。
自分達の国益にどう影響するか、だけの尺度で測るわけでは決してない。
後藤さんが「知ってほしい」とお考えになったことは、
単に日本の国益への影響の度合いからだけでなく、
そのような「同じ人間として」という観点が多分にあったように、勝手な解釈かもしれませんが、思っています。
私も自分のブログでこのことに触れ、
私事ながら、世界情勢に疎かった妹が、今回の件にショックを受けて
中東のことを勉強し始めました。
これまであんまり興味を持たなかった彼女に、正直「気付くの遅いよ」という気持ちもあるけれど、
それでもカッコつけずに、素直に、もっと知ろうとしてくれたのは良かったと思う。
あまりにも小さすぎることですが、
そんな形で、少しでも後藤さんの御意志が、せめて何かにつながっていけば、と願います。
ゆっきさん、こちらでも宜しくお願いします。
本当に、宗教争いこそないけれど、原発、憲法、安保法制など、これからの日本は大きく国を二分する案件が山済みです。だからこそ一人一人が流されずに自分の頭で考えていく必要があると思います。
後藤さんを、勝手にあんなところに行って死んだだの、身代金を税金で払うのはいやだだのと言っているひとたちは、こと旧ユーゴ紛争や中東の戦争だけでも、これまでどれだけのジャーナリストが命を落としたか考えもしないのでしょうか。
ああいう人達が行ってくれるからこそ、私たちが、世界でどんなことが起きているか知ることができるのです。安閑とテレビやネットだけ見ている、いい身分のものが、その「娯楽」を提供してくれる人間が死んでもいいなどと言うのは非道なことです。世界で起こっている出来事の真相を知らせてくれる人達がいなかったら、民主主義は成り立ちませんよ。特に今はグローバル化して、世界のあらゆる物事がつながっている時代なのですから。
これが欧米であれば、「彼を殺さないで」という市民が何十万の出て来て連日デモをやりますよ。助かれば首相や大統領が特別機で迎えに行きますよ。こんどの事件でも、ヨルダンの飛行士のお父さんは堂々と国王を非難したじゃないですか。日本ではお母さんが公の場に出ただけで、あれこれ文句を言う人がいますが、アタマの中が江戸時代で、御上に向かって物を申すのはいけないとおもっているのではないですか。この国の主権者は誰なんでしょうかね。
日本では、お母さんが本当に控えめで、気の毒になりました。もっと声を大にして言えばいいのにとつい思ってしまいます。
今回、後藤さんご自身が自己責任という言葉を用いていましたが杉江さんはこの言葉にどうお考えでしょうか?
この事件で後藤さんにネガティブな考えの方は自己で責任を負える範囲大きく超えているという意見を多数拝見しました。
是非ご意見頂ければ幸いです。
自己責任ということは言うまでもなく当然のことですが、現地取材は現地に入ってみないと本当のところはわからないというジレンマがあります。結果論として敵は想定外に非情だったということでしょう。
いろいろな人がいます❗めげないでそうゆう勇気のある人が居て私達は現状を知ることができると私の友人が言いました❗
赤ちゃんかわいそうです❗
ほんとうに!
戦場ジャーナリストが命を張ってそこで起こっている事を取材して報道するという事は、崇高な姿勢であり、蛮勇などでは決して無い。
おっしゃるとおりです。「蛮勇」などと口にする政治家の神経がわかりません。
イラクの時もそうだった、沖縄にも同じなんでしょう。むごいコメントは、じつは「ネット「テロ」なんです。
デヴィ夫人のこの記事も20000シェアを超えたそうですから、「ネットテロ」でしょうね。http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-11983065803.html
私達は、情報操作されやすい時代に生きています。真実を伝えるという事は、何よりも大切で勇気ある事です。
彼の意志は心無い適当な言葉で、揺らぐ事はないと思います。
考え、目を向けるべきは、彼への批判ではなく彼が伝えたかった真実なのではないでしょうか?
ジャーナリストさん達がいなかったら、私達は世界の真実を知る事が困難で、都合よく作られた情報におどらされてしまうような気がします。
つらい思いをしたのに、なぜバッシングをするのか理解ができません。
まさしく、目を向けるべきは、彼の伝えたかった真実ですね。
無知ながらも、どう考えればいいのか、わからずコメントさせていただきます。
危険を省みず、報道することは素晴らしいことだと思います。
今回の後藤さんの行動は湯川さんを助けに行くためだと報道されていますが、それは間違った情報だということなのでしょうか?
本業はジャーナリストですから湯川さんの救出がメインの目的ではなかったと思います。
ジャーナリストが職業だったことを知って驚きました。
杉江様のおっしゃる、ジャーナリストと、ジャーナリズムの定義を教えてもらえないでしょうか?
誰も伝えなければ無い事になってしまうのは、そりゃあそうでしょうけれど、なぜ伝えなければならないのか分かりません。
論理的な回答をしていただける事を望みます。
ジャーナリストとジャーナリズムの定義については、拙著「ニュースの楽しみ」(ワニブックスPLUS新書)4月8日発売予定、で述べましたので、発売開始になりましたらぜひご一読ください。
わざわざ、ありがとうございます!
読みますね!
日本人社会では、日本人同士だとどこかみんなと同じ常識やセンスでないと、排斥・排除(昔風なら村八分)のアレルギー的感性があるので、こうした過剰反応になりバッシングとなってしまう。本当は誰が何をしようが犯罪でない限り、お互いの言動や存在は自由と尊厳だけでいいのだが、どこか一般と特質過ぎると拒否反応となる。但し特に欧米社会での名誉な賞を取ると、途端に凱旋帰国の英雄扱いとなる。農耕民族の村社会的観念や価値観から抜けられない体質は今も変わらないし、舶来もんは千代に八千代にから憧れてきた民族である。大昔は中国や朝鮮、近代以降は西欧文明。。。戦後もバブル後も今も少しも体質は変わらない。個性を叫ぶほど、そういう皆と同じ叫びの個性をみんなが持ちたがる。。。 特質したその人独自過ぎる自由個性的な生き方は日本では、外国人、特に欧米人にしか暗黙に認めない日本の精神文化である(例えば、特殊なコスチュームやおたくも欧米人だと寛容に受け止める)。 そして国が先か国民が先かの議論がどれだけあろうと(どうも日本では政府をお上とかいう言い回しで今だ武家時代かのように政府が上で国民がその配下のような幻想が無意識に通常観念となっている)、現在の日本国家とは、国民の平和や治安と幸福福祉のためにその総意と税と選挙(お上とでも思ってるのか、だから選挙率も悪いのだろうが)で政府があり、政府は公僕であって国民のために労使を惜しんではならないとする民主主義国家の意識があるのなら、危険地帯へ行く後藤氏の言動がどうであったにせよ犯罪ではない限り本人の自己責任と覚悟していたとしても、政府は保護に最大の努力をするべきだし、今後もそうした国民の自律的な出国や活動をたとえ本人の自己責任であっても制限してはならない。それは個人と民間警備保障や保険会社との個人的な契約のケースではないのだから・・・そうした無私のボランティアな世話役が嫌なら政治家やめて民間での利権探しや経済活動に専念すればよい。しかし結局は、今回の後藤氏の現実の結末は、全く彼の思いや願いとは真逆な、世論的にも、特に今後加速化して戦争参加にでも向かいそうな政治的な流れや結果になっていくようであり、それがとても残念である、たとえ多少は彼の言動の善意を素直に受け止めてくれる人々が世界にいたとしても。。。まあ他人事としか思わない日本人の方が多いから、いつしか知らぬうちの近未来に、かつての戦前のように、夫や子供や孫、昨今なら娘でも欧米軍と一緒に戦いに戦地に行く時代になっていなければ良いが。。。 その時、今度は冷たくなったこたつの中で後藤氏の現場の民衆の声の意味がわかるのかもしれない。。。彼を英雄視する必要もないし、ただ彼なりの生き方自体には尊厳の念を持つことができる冷静な世の中であったなら、今回の事件も、政治的にも活かせる世論であったのかもしれないが、もう今の世の流れでの縁起因果は違う方向に向かい始めたような気がする。。。
ありがとうございました。全く同感です。長文ですが他の方にも一読をお勧めします。
誰一人として世界平和と唱えないのが悲しいです。日本と日本人の文字ばかり目立ちます、個人的印象です・・・以上。
確かにそうです。世界平和無くして日本の発展無し。
今回、湯川さんを助けると言って現地入りしたと報道されていました。
これはジャーナリズムとは関係ない行動だと思いますが杉江さんはどう思いますか?
戦場や災害現場では、現実としてジャーナリストも人命救助にあたる場合があります。業務逸脱かもしれませんが人道的見地からやむを得ない場合もあるとお思います。
あんな危険な場所へ行くからだ。だから命を落したんだ。って言う人に
では なぜあなたはそこが危険だと知ってるんですか?それは 命をかけて惨状を伝えてくれてるジャーナリストがいるからです。っと言いたい。ただ仕事として伝えるのでは ない。仕事だけではそんな危険を冒すことはできない。惨状を伝えるのは 平和を強く願ってるからこそだと思う。
その命をかけた ジャーナリストの後藤さん。いかなる批判もするべきではないと思う。
後藤さんの御霊が安らかに眠られるよう祈ります。
全くおっしゃるとおりです。その平和への祈りをこそバッシングしている方々にも受け止めてほしいものです。
あなたの言葉を読んで涙が出てきました。よかった…安堵しました。
あんな残虐な事をされて悲しみや怒りが共感できないどころか故人や遺族にバッシングが鎮まらない我が国に憂慮してました。個人のバックグラウンドは関係なく憎むべきはISなのに。ヨルダンの人が後藤さんのために涙を流しているシーンがなぜ我が国でないのか?なぜ遺族が何の迷惑もかけられてない世間に陳謝し続けないといけないのか?税金の計算は出来るが人の傷みが分からない者にはコミュニティーの未来がないと。「自己責任」言う前に人としての感情が欠けてる。しかもそんな主張の人の見識は浅い。
そんな人ばかりでなくてよかった。私も声を上げていきたい(ある事件で「自己責任」の名の下の非難についてコメントしたら叩かれたのでちょっと失墜してました)。
そして、後藤さんのジャーナリストとしての意志、敬服します。そんな彼だからこそ湯川さんがあの様になった事、予測出来る湯川さんへの非難…後藤さんは最期まで心を傷めていたのではないかとも思いました。湯川さんにもご冥福を祈る気持ちとご遺族を思いやる気持ちを私達がもつことも後藤さんが願っている気がします。
軍人とはいえ、ヨルダンのムアーズ中尉の焼殺には私も心を痛めました。
恥ずかしながら、数多くの事に関して無知であります。
後藤さんに関して誤解をしておきたくないので、いくつかお尋ねしてもよろしいでしょうか?
まず、幼き娘を残して、死を覚悟しながら支配下に足を踏み入れることはジャーナリストとしての性ということになるのですか?
私は理解し難いと思っています。
また、危険を顧みず自ら向かったわけですよね。
後藤さんは人質映像に映されている時、助けを願っていたと思いますか?
やはり、無知な私のような若者ですと、後藤さんの死は仕方のない事だと思ってしまうのです。
もちろん、悪はISILであることは認識しています。
まず、生まれたばかりの娘を残して戦場に行くのは、少なくとも僕にはできません。
また、後藤さんの死は仕方がないという認識は間違っていないと思います。本人も覚悟の上だったと信じています。
おっしゃる通りですが、そういった事実をマスコミはなかなか報道してくれません。そして、今回のISILの事件で改めて分かったことですが、日本人にはメディアリテラシーがやはり大きく欠けています。後藤さんをバッシングしている人の中には、マスコミの情報だけを鵜呑みにして行為に至った人もいれば、この記事にあるような情報を得てもなお後藤さんを批判する人もいるでしょうが、日本人の大衆はおそらく前者ばかりなのだと思っています。
ですから日本人の精神というより、都合よく情報操作しまくりマスコミとそれを疑わない大衆のリテラシーの低さ、そうした状況が震災を経てなお大きくは改善されていない現状に危機感を覚えます。
おっしゃるとおり日本人にはメディアリテラシーが欠けていると思います。それを憂いて拙書「ニュースの楽しみ」(ワニブックスPLUS新書 4月8日発売予定)を上梓いたしましたので、ぜひお読みいただければ参考になるかと思います。
貴殿の言う通りだと 思います
かなしいかな
ありがとうございます。
コメント欄が長くなりすぎ、きりがないのでこれにて特別な事情のない限りコメントの受付は締め切らせていただきます。ご意見のある方はメールフォームをご利用ください。たくさんのコメントありがとうございました。
悲しいですね。そんな心が乏しい人がたくさんいるなんて…わたしは今でも後藤さんが亡くなったとは思ってません。信じたくないのもありますし、いつか、あの笑顔でもう一度帰って来る日を待ってます。祈ってます。
危険なところへ自ら…それはそうなのかもしれませんけど、あの覚悟が、本当に他に誰ができるんでしょうか。
批判するのもけなすのも簡単です。ならば、その人たちは同じことできるんでしょうか。
もしも尊い命が奪われたとするなら、それは本当に悲しいことで、その人を避難するなんて、考えられません。
ここまで日本人が堕ちたとは。。。命を懸けて友人を助けに行く行為に良し悪しあるのだろうか。その行為を許せないとは。。ネットはネットである。そこから現社会に浸透させてはいけない。大半の国民は後藤さんに助かって欲しかったはずである。国民性の質を上げる基盤の一つとして中傷する連中が今後恥ずかしい事をしたと思える社会が必至である。
(余談)
デビィ夫人が自決して欲しいと言ったそう。そもそも夫人と呼んでいるが、どう考えても日本の文化では彼女はデビィ愛人である。スカルノ大統領失脚後、逃げ回って日本大使館に入り亡命しようとしたのがいろいろあって叶わず。しかも夫人となる前はクラブホステスである。そんな事をテレビで誰かが言ったら彼女の方こそ自決したい気持ちになるのではないだろうか。
私はまだ大人ではないので、ジャーナリズム等、知識はありませんし、ISILについても十分に理解していません。それでもニュースで見た後藤さんの顔つき、これまでの発言をみたとき、自分の魂の使命を知り、覚悟を決めた人の顔をしてました。発言をしてました。僕は単純に後藤さんから魂の発言を感じました。後藤さんの行動が良いとか悪いとかではなく、わかる人にはわかると思います。今回について誹謗すること自体も止めることはできませんが、でも、後藤さんから何か魂を感じることが出来る人がいただけで、後藤さんが生きていたこと、行動したことに意味があったのだと僕は思いました。誹謗してるひとも、後藤さんに敬意を払っている人も、感じることができた人、できなかった人。この二つに別れたのかもしれません。
自分の顔に鼻くそが着いているのに、他の人の顔についた小さなトゲを、丸太のように中傷批判する、人間の愚かさと自己中心さ。
「対岸の火事」と無視し、遠くから中傷批判するだけの多くの人々がいる中、その火事の中で苦しむ隣人を愛し、自分の命さえかけた後藤さん。
神は見ている、聞いている、知っている。愚かな人間達が、実はもう「対岸の火事」ではない事を悟る事が出来ますように…。
ジャーナリズムは大切であるし、その結果として犠牲者が出てしまうのを私も悲しいと思います。それを叩くのもお門違いで、お話の内容にも概ね賛同できます。ただ拝読させていただいた感想を率直にのべますと、彼の取材能力を少し過大に評価していないか、とも思います。と申しますのは、先日彼の著作であるルワンダの祈りを読んだところ、記載内容に間違いも多く、ルワンダ紛争終結後10年のわりには、当時のメディアの過激な情報を二次転用したような仕上がりのお粗末なものと言わざるをえなかったからです。もちろん彼がフォーカスしていたのは子供たちですが、やはり、その背景を上記のように軽んじているというか、軽視している姿勢に関して、私は彼がそのような偉大なジャーナリストなのか? と疑問符を投げ掛けたくなります。なお、だからといって彼が行ったことに関しては批判するつもりはありません。