現行憲法、第9条2項を守りたい!
昨年、大きなテロが起き、ISが「kamikaze」と特攻隊を英雄視しているのは、多くの方が知る通りです。なぜ、kamikaze=神風(特攻隊)、世界中を脅威に陥れているISやアルカイダのテロの共用語になっているのでしょうか。私は徹底的に反戦教育を学んで、これ以上、戦争の怖さを知ることはない、と思っていました。
その考えを一変させたのがISです。不謹慎な意見かもしれません。いったい空爆でどれほどの人が亡くなれているんだろうと思います。しかし私は、ISのほうが怖いです。
そして、戦後70年にあたり、自民党の憲法草案から、大きくふっかけて過去の大戦なかったことにして明治時代からやり直したい、阿部首相と、お友達内閣の本音(第9条2項の削除、96条の改正)を知り、考え直すことがありました。日本ほど戦争の怖さを知っている国はないだろうと。
kamikaze=神風(特攻隊)、世界中を脅威に陥れているISやアルカイダ等のテロの共用語に何故なっているか、それは人を人権のない人だという尋常ではない思想、全体主義です。約70年まで、日本の特攻隊も同様に世界中で見られていたのです。
「図説 特攻」太平洋戦争研究会(編)、森山康平(著)、河手書房出版社、P14より抜粋
戦争ではどこの国でもそうだが、負けた戦についてはダンマリを決め込むのがふつうである。しかし、日本の場合はそれがかなり極端だった。(中略)日本が負けているなどということは知る由もなかった。(中略)大本営の航空参謀が「ここまできたら飛行機で体当たりするような非常手段を考えるべきだ」と提案した。
私が知る限り、特攻隊を英雄視する傾向は日本の文化上、否定できません。1944年に日本の軍部が神風特攻隊を誕生させました。捷一号(しょういちごう)作戦と名付け、どうやっても勝ち抜くという軍部の意気込みですが、1944年には軍部には勝てる見込みはなかったのです。(その証拠が、作戦名称を幾度も変更しています。)特攻隊で亡くなれた方の数は約5000人です。私が遺書を読んだ限り、御国のために潔く散ります。と建前があり、その後は今まで育ててくれた家族、主に母親、の思いが残されていない、大変悲しい戦争の形態です。
繰り返しになります。ISは世界中を敵に回すほど脅威です。しかし、たった約70年までも日本の特攻隊も同様に見られていたのです。戦争に大儀名文などない。悲しみと恨み、損得だけだと思います。
また現行憲法の第9条2項の意義は、「陸軍空軍その他の戦力を持たないところまで踏み込んで規定をおいたこと」ことです。第9条1項だけでは戦争は放棄すると建前があり、第9条2項の削除は自衛権の行使が「どんな条件でも認められる歯止めがきかない、何でもあり」。
それが自民党の改憲の意図になります。(注
その上でも、現行第9条2項を徹底的に守りたい、と結論に至りました。
注)「自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!」小林節、伊藤真、合同出版、P87~91の要約より
ysugie
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すみません。杉江さんにはメールでお伝えしたのですが、私の投稿の早さは
他のメンバーの方より時間があります。六甲台キャンパスは非常に仲が良いです。
仲が良い理由は、三都物語大学(阪大、京大)より、一人の力ではかなわないから
協力し合おうという雰囲気があります。
(杉江さんは非常に優秀ですが、私は六甲台キャンパスで標準以下、バカです。)
杉江さんのサイトは時間、費用が非常にかかっています。私はこのサイトを発展
のため貢献したいと意思があります。
しかし9条2項こそ、自衛隊という強大な軍事力を生み出した源泉ですよ。2項をそのままにして、ずるずると自衛隊の軍事力の肥大を許すのは「平和主義」に反するでしょう。
昨年の「安保法制」も自衛隊を生んだ2項解釈の延長上にあります。
また今更、自衛隊を完全否定(非武装化)するというのも考え物だと思います。
私はここはきちんと現実を見て「個別的自衛権=先には撃たない」を明確にした条項に改正すべき派です。
9条2項にひっかりましたか。僕は逆にこの点はよし、としました。自衛隊は警察予備隊(軍と呼びたくないから、警察と呼びたい、などと駄洒落を言っていましたが)今や、国際社会の中では立派に軍と認知されています。9条2項があるために、あたかも我国は自衛隊の保持を否定しているようで、違憲すれすれのねじれが生じています。
ここはきちっと軍としての自衛隊の存在を認め、そのカバーする範囲を厳密に規定することが、望ましいように思います。
僕はそれよりも、新しく盛り込もうとしている「緊急時代条項」に危機感を感じています。総理の一存で、一時的にせよ三権分立、基本的人権の尊重を無視して、戒厳令をひくことができるからです。
桝本さん、9条1項は「国権の発動たる戦争」を放棄した、侵略戦争を否定し、
自衛権は否定していないとの認識で合っていますか?
(桝本さんは私案を作られ、解釈ができるほど法律は詳しいです。私はただ文章を
眺めるだけで解釈はできません。 もしよかったら、お時間のあるときに、これに
ついて記事を書いていただけないでしょうか。)
ISで綺麗ごとを言えないのは十分承知です。
(ISのせいで、北朝鮮のミサイルがただの威嚇としか思えないほどです。)
しかし、私が懸念しているのは、「立憲主義が日本に根付いていないから」です。
約70年前まで、自国の特攻隊の人権も守れないような状況が、あったからです。
全体主義ほど怖いものはない、と思っています。
9条1項の中の「国際紛争を解決する手段としては」永久にこれを放棄する。
つまり「お前の国はけしからん」という理由で、武力行使のその前提となる戦力も保持しない、第2項の「前項の目的を達するため」の中身は「けしからん」を理由にした戦争をしないと解釈したわけです。実に法律専門家の「あっと驚く」法文解釈です。
中学生高校生がテストでこの解釈をすると「◎」はもらえません。まあ数学の図形の問題を解く鍵となる「卑怯な(文系からはそう見える)補助線」的なテクニックでしょう。
一票の格差の問題は、格差の逆数で議員の「議決権」を減らすべきというのが私の持論です。2倍の格差(有権者が半分)なら議決権も半分(2人が賛成して1票)。これなら小選挙区の区割りを変えなくても一票の格差問題は永遠に解決します。
この計算で現在の小選挙区選出議員の議決権を算えると、与野党の議決権勢力がどうなるかは面倒なのでやってません。
>「緊急時代条項」に危機感を感じています。
私も同様の意見です。平成24年9月27日に「急に緊急事態条項が
盛り込まれ」ました。緊急事態条項は立憲主義を守るために、一時的に
立憲主義を止めるものです。
私が知る限りは、安倍首相は「憲法改正を良いもの」として、国民に
受け入れられやすいものから始め、最後の本音は9条2項の削除です。
自民党が与党のままだと、次の首相は防衛オタクの石破さん、
現行憲法の9条2項の削除は危険だと、考えています。
衆院区割り、5年毎の見直し 都道府県内で格差是正義案が
出ています。小選挙区制の違憲状態を見直しです。
「現行憲法14条1項 法の下の平等」と小選挙区制が
違憲状態を直し、安倍首相は、憲法改正がよいものだと
国民にアピールするおつもりです。
(最後の本音は第9条2項の削除だと私が知る限りです。
桝本さん、私は法律が分かりません。これについても
記事にすること、お願いできないでしょうか。)
>第2項の「前項の目的を達するため」
桝本さん、ご教示いただきありがとうございます。法律の解釈がいかに
難しいか分かりました。
私は、解釈ができないので「立憲主義と日本国憲法」高橋和之、有非閣を
読んでみたのですが。この本のP53に「第2項が前段と句点で区切られて
いるため、「前項の目的を達するため」を後段にまで及ぼすことができず、
自衛のための「交戦権」は否定されないと読むことが非常に困難である」と
書いてあります。前段や句点で解釈が変わるほど難しいのでしょうか?
あと、私が第2項を守りたい理由は、9条1項だけでは1928年の不戦条約
と同じと小林節さん、伊藤真さん、樋口陽一さんが書いていらっしゃり、
その後、第2次世界大戦に突入したからです。その一方で綺麗事が
通じない状況(昨日もISのテロ、懸念されるのは2020年のオリンピック)
と分かっています。しかしそれでも徹底的な不戦の理念は大切だと考えて
います。
「「日本国憲法」まっとうに議論するため」樋口陽一、みすず書房
憲法9条の背景にあるもの(P140 )、から抜粋。
「日本国民は(中略)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起る
ことのないようにすることを決意し」て、「主権が国民に存ずること
を宣言し、この憲法を確定」したのでした。
だが、その主権者である国民が戦争をすることはない、とはいえない。
(中略)だからこそ、その場合を想定してあらかじめ国民自身を縛って
おこうというのが、憲法9条なのです。
ただ、樋口陽一さんが、書かれているのは、あくまでも「国と国の間」
のことです。
ISは国と認定できない世界中はびこっているテロ組織です。
その意味で、集団的自衛権は必要なのではないかと迷いが
出ました。しかし、まだ先の大戦での生き証人の方は沢山います。
第9条2項は、この徹底的な不戦の理念を貫くためにも守りたいと、
考えています。
テロは、基本的に警察の対応で、刑法犯として裁判にかけられて処罰されます。国内におけるテロは国内「犯罪(これはアメリカでも同じ)」で、自衛権を発動すべき「外国による武力攻撃」ではありません。
テロリスト組織はNGOもしくはせいぜい暴力犯罪シンジケートであって、主権と国際承認された「国家」ではないからです。
テロの脅威を「集団的自衛権」の発動事由とするのは間違っていると思います。
>テロの脅威を「集団的自衛権」の発動事由とするのは間違っていると思います。
私もそう思っていました。しかしパリのテロの後、フランスに協力するため、
EUの集団的自衛権が認められました。
2051年のメリーランド大学の統計結果によると、テロの死傷者は4万強です。
(空爆のほうが死傷者は大体、5倍強、多いです。)
これはテロではなく、戦争状態だと考えています。
そして、約70年前までの特攻隊もそうです。特攻隊は私達に日本にとってなじみの
ある特攻隊は、通常の戦争の形態ではないのです。
完全に負け戦だとわかっていても、脅威を与えるため、敵の戦闘機に突っ込め
というのは、全体主義です。
その意味で「kamikaze」がテロの共用語になりました。
多くの他国は、空爆という自国の兵士を損なわないように、効率的なやり方を
します。
>2051年のメリーランド大学の統計結果
すみません、2015年のメリーランド大学の統計結果です。
昨年の12月では、テロの死亡者は4万人超です。
憲法学者の木村草太さんですが、「結論ありき」で後でロジックが
あります
現行憲法13条を根拠に、集団的自衛権の違憲の主張ですが、
この解釈は日本で木村草太さんだけ、新説と聞いています。
桝本さんは、条文のどこどこによると、この解釈になると、
結論が最後に来ているのが、私が知る限りでは、伝統的な
法律の解釈の仕方です。
抜粋ありがとうございました。
樋口陽一さんの言われる「主権者である国民が戦争をすることはない、とは言えない」とのお話、目から鱗でした。
僕らは先の大戦の苦い経験から、戦争は軍部が主導し国民は巻き込まれるもの、と頭っから思い込んでいましたが理屈の上では主権在民ばかり唱えても、戦争法案が衆参両院で過半数を占めたら、なんと主権在民のまま戦争ができてしまうのですね。それでもなお戦争をしない(させない)ために9条2項で縛りをかけてあるのですね。
僕は法文解釈などという技は知りませんので、中学生高校生の国語のテストどおりに9条を読みます。すると自衛隊はおろか、機関銃も戦闘機も一台も持ってはいけないことになるのでは?と謎でした。個別的自衛権については、前文の「平和に暮らす権利」をおびやかされるのだから、自然権として成立すると教えられました。ところがそうすると第2項が意味不明になって???でしたが、今日解決しました。
ここで補足しますと、現行憲法の第9条2項を残したいというのは、
ただの私の一意見です。(決してそれが正しいと言い切れるもの
ではないのです。)
桝本さんの書かれていることは、また私案は、法律を使うお仕事
なされていたのが分かる非常に勉強になるものです。
なぜ、一意見かという理由を書きます。最近の活躍されている憲法学者の
木村草太さんの集団的自衛権に関する解釈ですが、現在の国際憲章は日本
国憲法の第9条1項とほぼ同じ内容、というのは、木村草太さんの独自説
と言われるもので、学会では今の時点では異端と、聞いています。
学者が正しいわけでありません。裏にロジックがあっても、ただの一意見
でしかないのです。
特に私は性別が女性なのと母親なので、どうしても不戦の理念を貫きたいと
意見になります。
法律がわからない、ど素人でも読めた本を(重複しますが再度)挙げておき
ます。
「自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!」小林節、伊藤真、合同出版
「「日本国憲法」まっとうに議論するため」樋口陽一、みすず書房
少し難しいと思ったのは、
「立憲主義と日本国憲法」高橋和之、有斐閣
です。
戦争による戦いで相手方につかまった戦闘要員は(兵士)は、捕虜となりジュネーブ条約による戦時捕虜の保護に関する諸権利が与えられますが、つかまったテロリストは、犯罪者として逮捕されその国で処罰されます。
捕虜はしばしば交換されて解放されますが、テロリストは死刑を含む刑罰を受け、国際法ではなく国内法がその身を拘束します。
ISのような大規模テロNGOとの戦闘の国際法上の位置づけは今後の課題でしょう。難しいのです、「反政府」戦闘集団がテロリストなのか、「交戦団体」なのか、戊辰戦争で榎本武揚の昔から。
>ISのような大規模テロNGOとの戦闘の国際法上の位置づけは今後の課題でしょう
おそらく、杉江さん、桝本さんが、集団的自衛権という新しい法律が
日本ででき、その上でも9条2項の削除についてよし、と
される理由は以下のようなものではないでしょうか?
ISは度々「核兵器を持つ」と脅迫しています。
フランスがシリアに空爆をしかけていた上で、パリでテロが起き、
「戦争状態」とオランド大統領が発言し、その後、EUで集団的
自衛権の行使が認められました。
今のところ、国際法の範囲内でIS対策は空爆をしています。
しかし、もしここで空爆をやめると、ISは核兵器を持ち、EU、
もしくは地球が壊滅状態になります。
(また樫の会の12月の講演会、新安保体制を考えるか、の内容
により)私もきれい事は言えないというのも、完全には否定
できません。
テロは犯罪であって「戦争」とは別だ、と長く考えられてきました。ハーグ条約やジュネーブ条約も、陸海空の通常戦力による昔ながらの戦闘を前提に作られたものです。
しかし「戦争」の形態そのものが、ベトナム戦争の頃から変わってきている点に注目しなければなりません。まず一つ目は核兵器という地球を三百回全滅させられる兵器を持ってしまったこと。米ソ冷戦時代は、お互いが核をつかえない、状況になってしまった。さてどうしたか。お互いの本国は核の傘というバランスのもと、ベトナムに地を移して表面上は内戦に見える「代理戦争」の時代になったのが二つ目です。このベトナム戦争は後半になると、誰が兵士で誰が民間人かわからない。民間人がいきなり銃を手にとって兵士に化ける。いわゆる「ゲリラ戦」というのが始まりますね。これが三つ目です。ISの掃討で空爆を続けても、民間人の死者が出るばかりなのは、このゲリラ戦が一般化してしまい、兵士と民間人が混在しているからです。
このゲリラ戦がさらに進んだのが(’kamikaze atack”と呼ばれる)「自爆テロ」です。欧米はもちろん中東にも自爆攻撃という発想は全くありませんでした。キリスト教もイスラム教も自殺を固く戒めていたからです。そこへ岡本恒三、重信房子ら日本赤軍がテルアビブの空港で銃を乱射して自爆し、それを見たイスラム過激派が、そうかそんな方法もあるのかと真似するようになったのです。それ以来自爆テロはイスラム過激派の常套手段となりました。これが四つ目の段階と言って良いかもしれません。
一般にテロは国同士が宣戦布告しているわけではないので、戦争とは区別されます。しかしISの場合は自分たちを国だと名乗り、日本を含む欧米各国に対して宣戦布告をしています。ですからこのようなテロは新しい時代の戦争の形だと捉える考え方も最近は出てきています。国際紛争はケースバイケースであらゆる新しい形態をとるものであり、それに柔軟に対応していくことが、これからの国際安全保障に必要なことだと僕は考えています。
樋口陽一さんの著書は、とても読みやすいものです。
(飛ばし読みができます。)
現行憲法の9条が、主権者である国民が戦争をすることはない、
とはいえない。場合を想定してあらかじめ国民を縛って
憲法9条、と知った際に、日本人にとって現行憲法の前文と9条は
大変尊い、不戦の理念を徹底的に貫きたいと考えました。
しかし、国際政治学の学者(猪口孝さん)によると、ISを決して
甘くみてはいけない、「とんでもない化け物だと改めて知り」ました。
(ジョージ・ブッシュが諸悪の根源が前提です。しかしISには同情の
余地がありません。)
核兵器は今簡単に作ることができます。彼らは知能犯です。
ISは損得感情などないし交渉も不可能です。だから世界中に
とって脅威なのです。
現行憲法の9条と前文の不戦の理念と、ISを甘く見てはいけない、
核兵器を持つ可能性もある上で、9条の2項の意義を、コメント欄で
挙げるより、できたら法律、または戦争の歴史に詳しい桝本さんか
または杉江さんに記事を書いてもらいたいのです。