ぷりくらかおり

なにせ僕が学校で性教育を受けたのは55年くらい昔の話です。だからその頃の性教育のあり方と、現代の日本の状況とは、似ても似てつかないことと思います。昨日テレビで「性暴力の加害者になる子供たち」みたいなNHKスペシャルをやっていました。それによると性加害者になる(盗撮、性暴力など)人の初犯年齢は、なんと10代前半に半数以上が集まっていることになります。

今までメディアは性被害者の少女にばかりスポットを当ててきましたが、11歳とかで盗撮などに手をそめる男の子たちもまた、ある意味被害者というか、配慮が必要なのではないか。そんなふうに番組は締めくくっていました。小学校の先端的取り組みでは、身体に触れる時「ハイタッチしてもいい?」と聞いてからしましょうとか、「ハグしてもいい?」と聞いてからハグしましょう。そんな試みが紹介されていました。

でも僕に言わせればそんなの甘い甘い。

非同意性交罪」みたいな法律上の罪は減るかもしれないけど、本質的な問題の解決にはなっていない。何故なら思春期の男の子は、ほぼ全員ヘンタイなのだから。そしてそれを上手く解消して大人になるか、解消できないまま大人になるか。そういう問題だと考えているからです。

そう考えてみると、最近の若い人はどんどん早熟になっているとか、メディアもそれを煽っている、とかよく言われているけども、実際に思春期を迎える肉体的な年齢は、55年前からそれほど変わっていないのではないか。という確信に辿り着きました。

もしどんどん早熟になるなら、そのうち幼稚園で初潮を迎える女子がいてもおかしくない。でも55年経った今、あたりを見回すとそんな状況にはなっていない。むしろ社会的には晩婚化が、都市部では進んでいるようです。昔の童謡の歌詞に「15で姉やは嫁に行き〜」とありました。珍しくもないだろうけど、実際に中学生の時に同級生で妊娠した女生徒がいて、僕はものすごく驚いた記憶があります。

要するに男女それぞれ性的な成熟をする年齢は昔も今も変わっていない。

結局は社会的な問題なのです。女子が義務教育を終える前に結婚することが、良くないことなのか否か。秋元康さんが作詞して松本伊代さんが歌った「センチメンタル・ジャーニー」という大ヒット曲がありますが、僕はあの辺がギリギリのラインではないかと感じています。もちろん歌詞に出てくる「伊代はまだ16だから」という部分です。メディアとしていかがなものか。

秋元康さんはそのギリギリのところをつくのが、抜群に上手な方です。おニャン子クラブ、というコンセプトを発明した時点で、すでに常人ではないと感じました。

  • どこの高校にもクラス一番の可愛い子というのいる。それを集めてセーラー服を着せれば人気が出る
  • セーラー服というのは適齢期のメスのアイコンだ
  • 学業との両立というなら放課後の課外活動ということにすればいい

うーん。僕は個人的には賛同しかねる見解でしたが、たしかに彼の狙いはヒットし、のちのAKBとか坂シリーズといったアイドルブームを生み出していきました。文句のつけどころのない理屈だったし、まあ女性を商品として売り出すビジネスは、江戸の吉原をはじめ古今東西見られる文化なので、まあいいか、という感じで僕は彼と1年ほど生放送をやりました。個人的な感想ではありますが、彼は一言でいうと「ちゃっかりした男」という印象です。

これはこれで完全に成熟した大人の世界の話ですから、性教育の問題とは切り離して考えましょう。問題はまだ成熟していない、小学生と中学生に対する性教育、それも公的な教育システムとしての性教育です。これは冒頭に書いたように55年前の自分の体験をもとに書きます。かなり古い話ですが、自分の半径50センチの話題を書く、という意味では他にありません。

僕は生い立ちにも書きましたが、東京のど真ん中で生まれ育ち、中学2年性の時に大阪へ転校しました。そして学校で受けた性教育は、保健体育の授業として小学校で1回、中学校で1回。それだけです。あとは興味の赴くまま独学で知識を得ました。(今ではもっと進んでいるでしょうが、というか今ではネットで情報過多であり、良くない傾向かもしれません。)

小学校6年性の時は1限だけ。男子と女子が別々の部屋に連れて行かれ「男子と女子が性行為をすると妊娠して子供が産まれる。以上」男子にはこれだけでした。はあ?という感じです。これには家庭環境も大きな影響を与えていると思われます。犬や猫を飼っている家庭では、ペットの繁殖を間近に見る機会もあるでしょう。また酪農家の家庭では、繁殖は生業そのものです。

たまたま幸か不幸か我が家は酪農家ではなく、社宅のためペットも飼えませんでした。だから僕はオスとメスが交尾して繁殖するという実感が湧かず、極めてオクテに育ってしまいました。純朴なまま中学校で保健体育の授業を受けた僕は、別の意味でビックリしました。性教育の担当の教員は逆に必要以上に細かく、ニヤニヤしながら黒板に絵を描き、自身の体験も含めて面白おかしく解説をしたのです。

当時はまだ性教育に関する指針が出ておらず(今はなにかしらあるはず?)、それぞれの担当教員に任されていたようです。いちおう避妊の仕方などはざっと説明しましたが、あとはひたすら猥談だったと記憶しています。こんな状態で冒頭に述べた問題が解決するとは思えません。教育機関に委ねるようでは良くない、親が家庭内で教育すべきだ、という考えもあるでしょう。でも僕が子供の頃母親に聞いたところ、「あんたは橋の下にいたのを拾ってきたのよ」とはぐらかされてしまいました。

大人になって仕事している時、とある小学生の子役から質問されたことがあります。その女児は僕と同様に都会で生まれ育ち、連続テレビ小説(朝ドラ)を熱心に見る子でした。で、その彼女が小学校で今まさに、たった今性教育を受けてきたタイミングだったのでしょう。ドラマの中ではヒロインが妊娠したことを告げるシーンの直後、シーンは切り替わって赤ちゃんを抱いているシーンになりました。女児は言いました。「ねえ、なんであの人は性交してないのに、こどもが生まれるの?」僕だけではなく、部屋中が凍りつきました。

こどもの方だって自分の母と父が性行為をしている光景はあまり想像したくありません。こうして親と教育機関が互いに必要な性教育を押し付け合っていては、根本的な問題が解決する訳がないと僕は考えます。女子は男子に比べると比較的親が教えるのが容易でしょう。話題が極めて現実的ですから。問題は男子です。社会的背景を考慮して、しっかり自分の頭で考えていくには、1限の授業では全く足らず、焼石に水状態かもしれません。

男子は思春期に誰しも1回は「ヘンタイ」になる。そして蛹から蝶になるように「変態」して成長していく。その過程で良質な情報に触れる機会を与えていくことこそが、私たち大人のすべきことではないでしょうか。

※アイキャッチ画像はこの本文と関係がありません

###


杉江義浩OFFICIALをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

あなたのコメント

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください