2024年4月27日

2023年今期の国会で「非同意性交等罪」が決まりました。「強制」ではなく「非同意」に変わったのです。ポイントになるのは、暴力や脅迫による強制的なセックスに限らず、相手が同意しているかどうか、これを確認せずにコトに至ったら、もう犯罪ですよ。というものです。

性行為には極めて文学的な側面があります。古今東西いろんな小説、漫画、映画などが、このデリケートなやりとりを、素晴らしいラブ・ロマンスに仕上げています。「嫌よ嫌よも好きのうち」という僕らが若かった頃に流行ったことわざも、これで完全に死語になりました。

最近の漫画で流行った名場面、いわゆる「壁ドン」(壁際に立っている相手に対して、突然片手を壁につき、動けない状態の相手に愛の告白などをする)も、今後は不適切な表現とされるでしょう。好きになった相手に、どうやって気持ちを伝え、どうやって肉体関係に持ち込むのか。これは永遠の深いテーマです。

「壁ドン」について数人の女性に聞いたところ「相手が自分の好きな相手からなら、かなり嬉しい」との意見を頂きました。なるほど、「壁ドン」をする前に、「僕のこと好きですか?」壁ドンしてもいいですか? と訊いてから壁ドンする。そんなアホな。それでは壁ドンにならんやんけ、という意見はまあ置いておいて。

松田聖子さんは唄っています。

真面目にキスしていいの なんて
ムードを知らない人 Ah…あせるわ

松本隆作詞「秘密の花園」より

素敵な歌詞だと思いますが、これからは成立しないでしょう。これから必要なのはムードじゃない、同意だ。ということになりました。昭和の世代からすると、なんと味気ない。という気もします。でも文学の世界ではお互いに好き同士、ということが前提になっています。これがもし好きじゃない相手からだったどうでしょうか?

僕は学生時代は女たらしでしたが、一度だけ「襲われる立場」の経験をしたことがあります。とある映画の撮影のため、40日間くらい沖縄のホテルで過ごしました。学生時代の僕は、今から想像できないくらいイケメンでした。もう半世紀も前のことだから時効かな。沖縄入りした翌日、全員で顔合わせのパーティーがありました。

最年少の僕はプロデューサーによる部屋割りで、10歳ほど年上の男性スタイリストYさんと同じツインベッドの部屋をあてがわれました。顔合わせのパーティーの席上で、僕は何気なく「Yさんって優しいんですよ。まるでホモかと思うくらいです」(当時はゲイというよりホモという用語が一般的でした)。僕の発言の直後、場はシーンとなりました。プロデューサーが僕に目配せし、顔をしかめて細かく横に振っていました。

僕はしばらくしてから事情が飲み込めました。僕にはそっち方面の素養が全くないし、たかが部屋割りだ、気にしないでいれば大丈夫。そう自分に言い聞かせました。

その晩だったか数日後の晩だったか忘れましたが、ちょっと酔っ払ったYさんが部屋に戻ってきました。僕はすでに自分のベッドに入っていましたし、YさんもまもなくYさんのベッドに入りました。すぐに眠れなかったのでしょう。Yさんが話しかけてきました。

「ねえ、杉江ちゃんは、ホモセクシュアリティについてどう思う?」

「そうですね、いいと思います。頭では理解はできますよ。たまたま自分がそうじゃなかっただけで」

それから数分間、同性愛について論じたあと、Yさんは突然言いました。

「ねえ、今日は自分のベッドで寝られない気分なんだ。杉江ちゃんのベッドに入っていい?」

「え、ええまあ。入るだけなら」

僕もバカですね。同じベッドで寝ることに関しては、同意したのです。それが何を意味するかも知らず。自分が散々女性に対してしてきたことも忘れ、僕に同性愛の嗜好が無いことも十分伝えたし。

Yさんはゆっくり僕のベッドに入り、少しずつ身体を僕に寄せてきました。そこでようやく僕は気がついたのです。やばい、このままでは!

体格では僕のほうが大きく強く、いざとなったら押しのけることもできる。でもこれから40日間も仕事をご一緒しなければならない先輩に、そんな乱暴なまねはしたくない。それよりも何よりもその時の僕は、

  • 身体が硬直している
  • 恐怖で声も出せない
  • 何も考えられない

今まで感じたことのない、不思議な状態でした。ああ、いままで女子たちは、性交を迫られる時、こんな気分を味わってきたのかも知れない。とおぼろげながら考えました。そうだ、声に出してキッパリ言わねば。

「Yさん、僕たち明日からもずっと仕事が続きます。そっちを大切にしましょう。変なことをすれば、仕事に差し支えますよ」恐怖で声も出なかった僕が、必死で発した言葉でした。

Yさんは「そうだね。仕事頑張ろう」と言って、自分のベッドに戻りました。僕はなんとか菊の貞操を守り、翌日からも、何もなかったかのようにYさんとも気持ちよく仕事をすることができました。相手がジャニーズのように圧倒的な権力者じゃなかったのが、良かったのかも知れません。

男性たちは身体の構造上、どうしても「攻める」経験はあっても「守る」立場に置かれることはまずありません。最近テレビで被害者の女性が「恐怖で身体が硬直した」「声を出すこともできなかった」と訴えるのを見て、僕はそのたびに沖縄での一件が思い出されます。僕には彼女たちの気持ちがわかるつもりです。

とはいえ性交の前に、「同意」か「非同意」かを確認しなくてはならない。「無言」は「非同意」に含まれる。恋人同士であっても、夫婦間であっても、明示的な「同意」がなければセックスできない、というのはあまりにもムードのない話です。離婚訴訟の時に妻が「私は同意してないのに性交されました」といえば、この法律が適用されて慰謝料を払うことになるのでしょうか。

同意書のような紙に「○年○月○日、私は本日夫との性交に同意します」と書いておいて、毎晩、妻に署名捺印してもらうしか、「非同意ではない」ことを証明する方法はないように思われます。ちょっと現実的ではないですね。「唇を奪う」という表現もなくなり、小説や漫画、映画などのラブ・ストーリーは味気ないものになるでしょう。

なぜならラブ・ストーリーは「同意」と「非同意」の間をさまよう、男女の機微を描くものだからです。創作の分野では、明らかに表現の幅が後退します。へんな法律を作らなければならないほど、日本人の感性は劣化しているのでしょうか。引っ込み思案な男子が増える中、少年たちは鬱屈し、少子化がさらに進むような気がしています。

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6月21日追記:

タイトルを少し変えました。もとタイトルでは「非同意性交等罪、女性の気持ちがわかります?」だったのですが、よりシンプルにしました。

あと「秘密の花園」作曲家の名前を書いてなかったですが、言わずと知れた呉田軽穂(=ユーミン)です。ユーミンの曲は、ギターじゃなくてピアノで創ったな、と思わせる独特の節回しで、すぐに分かりますね。80年代のJ-POP界は、ユーミン、山下達郎、桑田佳祐といったシンガーソングライターを除くと、ヒットソングを生み出すのは、作詞家×作曲家×歌手のチームでした。僕は今でも松本隆作詞×筒美京平作曲が最強のコンビだったと思っています。

魅力的な歌手がいる→優秀な作詞家、作曲家が楽曲を提供する→CDやチケットが売れる→お金がたくさん入ってくる→高額な予算をつける→超一流の作詞家、作曲家が集まってくる→さらに売れる。という好循環だったのでしょうね。阿久悠さんもすごい人だった。

でも秋元康さんは僕は作詞家とは思えないんです。あの方は「ちゃっかり屋」さんというイメージがあります。学生時代から放送作家のアルバイトをし、「とりあえず全国の可愛い女子高生を大勢スタジオに集めれば男たちは見る」というシンプルなアイデアで、おニャン子クラブを結成し素人のまま画面に出しました。その中で一番可愛い子を自分の妻にするというのも「ちゃっかり屋」さんならではです。「セーラー服を脱がさないで」というヒット曲を出したのも、計算尽くです。「セーラー服を脱がして」ならアウトですが非定型ならばOKです。視聴者の印象に残るのは、どちらも同じで、なんとなく可愛い女子高生が制服を脱ぐ、というイメージです。「ちゃっかり」してますね。「会員番号の歌」など聴くと、これは詞と呼んで良いのかどうか。

良かったのは美空ひばりさんの「川の流れのように」を作詞した時ぐらいではないでしょうか。結局、秋本さんはまた彼の原点である「全国から可愛い女子をたくさん集めて見せよう」という方針に戻りました。ミスコンと同じレベルの発想です。今度は時代的につんく♂さんの「モー娘。」の後だから、さすがに素人のままではだめだろう、ということで歌やダンスも仕込みました。つんく♂さんは「モーニング娘。」を生み出すに当たって、とても厳しい訓練を課し、ボイトレやダンスレッスンはもちろんのこと、営業体験や、なぜだか分からないお寺での修行まで、徹底的に特訓しました。その一部始終をテレビ番組、朝ヤン(浅草橋ヤング商店街、だったかな)で公開し続けたのです。ですからデビュー曲「モーニングコーヒー」は、5人で3パートハモる、トリプルハーモニーをこなし、非常に高度な楽曲になったのです。おニャン子クラブが大勢いるのに全員ユニゾンで、まあ素人の放課後クラブ活動だから、と許されてきた時代は終わっていました。AKB48に始まり坂道シリーズに至るまで、いちおう女の子たちは歌って踊れるようにはしました。でも基本的な作戦は「既にネット配信が主流になってCDが売れない時代だから、一人の客に何枚もCDを買ってもらって、握手券を配布しよう」と、非常に「ちゃっかり」したアイデアによるものです。僕は秋本さんのことを、作詞家とはカウントしません。彼は企画屋でありプロデューサーだと思っています。

話は大きくそれましたが、J-POPを本来の形で作詞・作曲してきたのは、松本隆×筒美京平であり、それが最強、最高だと僕は思っています。まあ個人的な好みにすぎませんが。

なにが言いたかったかというと、歌謡曲の作詞も含め、小説、文学、映画、演劇、漫画、アニメといった全ての分野で、性行為に至るまでの人間らしいデリケートな心の動きを、丁寧に描くことで成り立っている。ということです。それは「同意」か「不同意」の二択ではなくて、その間でさまよう女心や男心の微妙な揺らぎです。

うちの奥さんは、気が乗らないと手も握らせてくれない。「同意」か「不同意」かどころじゃない。という人もいるでしょう。それぞれのカップルには、それぞれ独自の口説き方、断り方が育まれていき、その過程を「恋愛」と呼ぶのです。今回の法改正は間違いだ、とは言えないかも知れません。でも恐ろしく人間味を欠いた、無粋で野暮ったい法改正だったと思います。

奥さんや恋人に、いちいち性交同意書に署名捺印してもらってたら、ムードはぶち壊し。こっちの方がゲンナリしてやる気が失せるでしょう。時代が変わったのかな。相手の心も読めないほど感性の鈍い日本人ばかりになったのかな。とにかく、とんでもない無粋な悪法が生まれたものです。

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