スイカと山の男に出逢う
朝から僕は半ズボンになり、自宅マンションの共同公園のベンチにあおむけになり、気持ちの良い五月の風と日差しを素足にうけて、うとうととしていた。
よみかけのペーパバック『とてつもない日本』を枕に、再び眠りに入ろうとしていた僕の傍らに、人影らしきものが現れた。
薄目を開けてみると、そこには登山姿をした初老の男性が立っていた。
登山姿は似つかわしくない。
かつて麻布山の頂だったとはいえ、ここは六本木一丁目である。
ふう、とまるでアルプスの山頂に着いたかのように、その紳士は汗をぬぐって、それから僕に話しかけた。
「あのう、おやすみのところすみません」
半裸になっていた僕は、あわてて飛び起きた。
「このあたりに、日 本 の 原 点 があるのですが道に迷ってしまって」
僕はめくれていたTシャツの裾をなおした。
「日本経緯度原点という三角点が、飯倉2丁目にあると聞いて探しにきたのですが、交番のお巡りさんに聞いたら、そんな地名はないといわれてしまいました…」
「そうですか。それはおこまりでしょう」
「よろしかったら、一緒に原点を探していただけませんか?」
「いいですよ。どうせ僕もひまだったので」
僕は大急ぎで素足のままスニーカーに足をつっこむと、携帯電話のGPSを取り出した。
こうして古希を迎えたという熊本弁の登山家と僕、二人の奇妙な登山が始まった。
午前中、一時間ほど坂道をあるきまわった。
彼は南極をのぞく全ての大陸と20カ国の山を踏破したキャリアの持ち主だった。
午後から渋谷で学会に出席しなければならず、そのために上京したのだが、午前中にどうしても「日本の原点」とやらを一目見ておきたいのだという。
必死で探し回ったが見つからない。
70歳の彼よりずっと早く、僕の呼吸が荒れてくるのが情けない。
正午をまわり時間がない。
僕は妻に電話した。
まるでジャック・バウワーがクロエに電話するように。
電話の向こうで妻がぱたぱたとコンピュータを操作する音がきこえ、すぐに答えが返ってきた。
「正確な地名は飯倉じゃなくて、麻布台2の18の1よ。いい?麻布台2の18の1よ。そこが現在の、その『原点』のある場所なの。ロシア大使館の裏側にあって、そうね、ちょっと言葉では言いにくいけど…そうね、ちょっと行きにくい場所ね」
結局、ロシア大使館の四隅にある交番で尋ねつつ、麻布台2丁目を二周半したが「原点」は見つからないまま、その男はバスに乗るために東京タワーへ向かい、僕は自宅に帰った。
たくさん歩かせてしまってすみません、と初老の紳士は何度も僕に頭を下げたが、こちらこそ満足にガイドできずにすまない気持ちだった。
さっそく僕はグーグル・アースで探した。
それは確かにあった。
こうして僕は会議中の彼の留守番電話にメッセージを残し、彼は会議が終わってから「それ」を見に行くことが叶い、実に満足げに熊本へと帰っていった。
僕はまだ見ていない。
「日本の原点」
だって、場所が判った以上、いつだって散歩がてらに行けるから。
そして今日、熊本の彼からお礼にスイカが届けられた。
まるで日本の原点のようなスイカだ。
その男の名刺には、
「熊本県山岳連盟 理事長」
「(社)日本山岳会 熊本支部長」
とあった。
熊本といえば阿蘇山。
ある意味、山の男の原点だったのかも知れない。
※どなたかスイカを一緒にたべませんか?妻と二人ではもてあましているので。
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