ご出身はどちら? あなたの故郷は?
東京ではごく普通にこのような質問をされます。お正月には故郷(ふるさと)に帰られるのですか?と悪意なく初対面の相手に対して。
その時僕はちょっと戸惑います。こないだ「生い立ち」という日記にも書きましたが、僕は生まれも育ちも東京渋谷だからです。厳密に言えばオギャアと生まれて人生初の空気を吸ったのが、渋谷区広尾の日本赤十字社中央病院。そのまま鶯谷さくら幼稚園、渋谷区立猿楽小学校、鉢山中学校と育ちました。中学2年の夏まで14年と6ヶ月間という長きに渡って、僕は渋谷区代官山しか知らない子供でした。小中学生ですから遠出といっても山手線に乗って上野動物園に行き、ゾウの写真を撮ったり、秋葉原に行ってラジオ組み立てのジャンク部品を買うのが精一杯でした。
子供の使いですから、雨の日には傘を持たされて、父親を迎えに渋谷駅まで行かされました。南口です。なのでハチ公口まで行くともう迷子になってしまいます。生まれも育ちも東京ではありますが、新宿駅にも池袋駅にもほとんど行ったことはありませんでした。母親はもっぱら東横デパート(東急東横店)で買い物をし、僕はその間の時間を潰すためにデパートのおもちゃ売り場か、屋上の遊園地で遊んでいました。お気に入りは綿菓子をつくるマシーン。徒歩圏内の駅といえば、渋谷駅以外に東横線代官山駅か、山手線恵比寿駅ですが、当時は小さくて寂れた駅でした。なのでやっぱり渋谷です。
そんな環境で物心つくまで育った僕にとって「故郷」といえば東京渋谷しかありません。それを表題の質問をしてくれた人に返すと、何故かなんとも拍子抜けした表情をされるのです。きっと出身地が博多とか長崎とか、岩手とか函館なら期待に沿えるのでしょう。あるいはいっそモンゴルなら面白がってくれるかもしれません。でも出身地が渋谷ではどうにも絵になりません。相手をがっかりさせて申し訳ないという気分になります。別に僕が謝る筋合いではないのですが、全国から人々が上京している移民の街TOKYOでは、故郷自慢が必須のようです。
♪ああ〜誰にもふるさとはある〜、という演歌もあったような(僕はその分野に詳しくないので勘違いかもしれませんが)気がします。
あまりにも皆さんががっかりされるので、若い頃僕は「神戸出身です」と答えることもありました。大学が神戸だったからです。これだと比較的みなさん納得してくれます。「へえー、神戸っ子なんですね!」「阪神淡路大震災の時は大変だったでしょう」「地震の時、ご実家は大丈夫でしたか?」などと話がはずみます。たしかに震災の時は別の意味で大変でした。1.17の時、翌日の朝一番の飛行機で僕は東京から神戸へ緊急取材班として送り込まれました。きっと履歴書に最終学歴として神戸大学とあったからでしょう。あくまで仕事です。たしかに多少の土地勘はあって役に立ちましたが。
でも「神戸っ子なんですね!」と言われると、僕の付け焼き刃はすぐに剥がれます。「ごめんなさい。僕が神戸にいたのは大学の6年間だけなんです」と白状せざるを得ませんでした。これでは神戸が故郷だなんておこがましくて言えません。大学時代の友人には、生まれも育ちも神戸という本物の神戸っ子が大勢いました。なので僕はすぐに「神戸出身です」という看板を下ろしました。カッコ悪いですね。事実なんだから仕方がないのだけど、とにかく東京以外のどこかを出身地にしないと収まりが悪い感じが東京にはあります。胸を張って言える故郷がある人が羨ましい。
もちろん本籍などでルーツを辿っていけば、僕の場合は父方も母方も滋賀県だということがわかります。でも滋賀県で生まれたわけでもなく育ったわけでもない、ましてや暮らしたことさえない僕は、TMレボリューションの西川貴教くんみたいに胸を張って滋賀県出身です、とは言えません。そんなことを言うのは西川くんに失礼です。滋賀県の地理も言葉もわからない。これまた神戸同様に出身地候補から外れます。やっぱりオギャアと生まれてから思春期を迎える中学2年まで、14年6ヶ月間育ててもらった渋谷区以外に僕の故郷は無いようです。
ちなみに中学2年から高校3年までの4年と6ヶ月間は、大阪府吹田市で育ちました。4年と6ヶ月間というと短いように思われるかもしれませんが、多感なこの時期をどこでどういうふうに育ったかということは、人格形成に大きな影響を与えたと思っています。とにかく全てがカルチャー・ショックでした。僕はまず必死で関西弁をマスターしました。そうしないとイジメられるからです。ほぼ2年くらいかかりました。日常会話でのボケとツッコミを理解するには、さらに2年以上の修行が必要でした。というか、いまだに僕はこれをマスターできていません。
なので「大阪出身です」と名乗ることは「神戸出身です」と名乗ること以上にハードルが高く、とてもじゃないけど大阪が故郷だとは言えないのです。そもそも大阪人は大阪を地方だと考えていませんから、上京するという発想自体がありません。東京もんには負けへんでー、という強い反骨精神に裏付けられた、全く別の文化圏がありました。大阪人にとっては「ご出身はどちら?」と聞くことが愚問です。「そんなもん大阪に決まってるやろう。死ぬまで大阪や」と返されて終わり。僕はそんな大阪の閉鎖性に馴染めませんでした。大阪ではそんな僕でも仲良くしてくれたバンド仲間を除いて、ほとんど友達が出来ませんでした。
大阪、神戸と進学して社会人になると、今度は自分で拠点を決められます。大阪でちょっとした大仕事を片付けると、僕は迷わず東京渋谷に戻りました。やっぱり帰巣本能というのでしょうかね、人間にも鮭が生まれた川を遡るように、自分が最初に空気を吸った場所へ向かう習性があるようです。理由は3つあります。1つは僕は渋谷以外の東京を知りませんでした。2つ目は職場が渋谷にあることです。僕が社会人になった20代というのはピッタリ1980年代と重なります。いわゆるバブル期という時代ですね。コマーシャルを1本演出すれば大いに稼げました。そんな時代に友人の音楽家、美術家、広告文案家などが代官山同潤会アパートに集まっていました。まったくの偶然ですが、それが僕を渋谷代官山に向かわせた3つ目の理由でした。
それから1980年代、1990年代、2000年代、2010代、2020代と45年以上にわたって、僕は渋谷を拠点に活動することになります。多くの友人関係はこの時期に築き上げられました。事実婚を除く結婚・入籍も2回この時期に経験しました(厳密に言えば2回目の入籍は港区ですが港区から渋谷に出勤していました)。生まれ育った14年と6ヶ月。そして大人になって仕事や人間関係を培った40年間。合わせて少なくとも55年間の長きにわたって僕は東京で過ごしているのです。中学2年から高校時代への4年6ヶ月過ごした大阪、大学時代6年間の神戸を合わせても10年ちょっとですから、僕の故郷は関西であるとはいえません。
たしかに関西にも知り合いは数人います。そのうちの何人かは僕の故郷は大阪だ、と言ってくれます。大阪を故郷だと名乗って良いと大阪の方に言って頂くのは、大変ありがたいことですが、前述したように僕の実感としてやはり自分の出身地は東京渋谷でしかあり得ません。やっかいなのは関西人に特有の同調圧力です。例としてふさわしくないかもしれませんが、関西人なら阪神タイガースを応援するのが当たり前やろう、という圧力。別の文化圏である東京の標準語を使うと裏切り者と見られる圧力。これらの圧力には僕は一生馴染めないし、むしろ迷惑です。またルックスで差別してはいかんですが、可愛い子は男も女も東京の方が多い。
書いているうちに気がついたのですが、別に出身地が東京渋谷であっても、引け目を感じることはないのではないのかもしれません。僕が自意識過剰で、演歌の歌詞にあるような九州や東北に故郷がないと、なんとなく絵にならないという感覚がむしろおかしいのでしょう。今となっては開き直って「僕の故郷は渋谷です」と堂々と言えばいいと思えてきました。Facebookのプロフィール欄に言語という項目があるのですが、僕は日本語と関西弁と併記しています。渋谷出身でありながら関西弁も喋れる。いわば日本のバイリンガル(?)としてポジティブに考えることにしました。
僕の職場では全国津々浦々と回り見識を広げる人が多いです。でも僕の場合は東京でしかできない特殊な仕事だったので、幸か不幸かしっかり東京に根を下ろすことになったのです。考えてみれば東京とローマ、大阪、神戸しか知らない東京の田舎もんですね。今から思うともっと各地を巡りたかった気もします。仕事では数日間や数ヶ月という短期滞在も含めると、これでも47都道府県いちおう踏破していますが、正直言って語れるのは都市部に偏ってます。いやあ日本だけでも広いです。僕が語れるのはやっぱ東京渋谷だけ。
なぜこの時期にこんな個人的な話題を書いているかというと、年末に向かって旧友たちとの交流を振り返っていたから。そして世の中の残念な動きにもはやコメントしたくなくなったからです。国内で言えば僕の知っている限り最低最悪の人物が政権についたこと。何を書いても悪口にしかならない。就任3ヶ月はハネムーンということで悪口はなるべく避けたい。なので年が明けたら本気で向かい合うつもりです。世界的には言うまでもなく米国トランプ大統領のこと。これは米国の選挙権も持たない僕が何を言っても虚しいだけ。米国民の自浄作用を祈るしかありません。
米国民もそろそろ気がつくはずです。外国製品にどれだけ高い関税をかけても、日本製のクルマが欲しい米国人、スイス製の時計が欲しい米国人はいます。彼らは関税が上乗せされた高い金額で外国製品を買わざるを得ない。結局は米国民のポケットマネーが使われるから、やがて怒りの矛先はトランプに向かうと僕は期待しています。
というわけで今日は僕の思い出話の続きでした。
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